竹鶴酒造へ
心から尊敬する人に連れられた場所にはまた大きな大きな人との出会いがあった。
お酒のことはわからないんだけどなぜか読んでた「季刊まっすぐ、石川達也」
まさか足を運ぶことになるとも思ってなくて何度も何度も赤線引きながら読み込んでいた。
ものづくりへの掘り下げ方、探究心、活字からでも伝わってくる人間性の深さ。
こんな凄い人がいるんだと本を読みながら憧れを抱いていた。
石川杜氏の話は上手い例え話とユーモアに溢れていてスッと頭に入ってくる。
例えば弓の名人の話
百発百中の技術を手に入れた弓の名人は自信を持って山奥の老師に会いに行くがそこで言われた言葉はその技術はまだ「射の射」。
本当の技術とは「不射の射」つまるところ弓を射ることなく射る。
石川杜氏はこれを自身の酒造りにも当てはめる。
酒造りも狙ってやっていてはまだまだである。
「酒の造り手は、自分の狙い通りの酒ができたかどうか気にするより、酒という恵みを授けられたかことに感謝することを忘れてはいけない」
「造り手の意図が見えた時点でそこにはすでに「狙う」精神が存在している。酒はどこまでいっても授かりものであることを忘れてはいけない」
石川杜氏は言葉だけではなくその表情や立ち振る舞いもとても謙虚で偉ぶる様子もない。
自然を相手にするのではなく、自然と距離を取るでもなく、私たち人間も自然そのものである。
この考え方こそ石川杜氏の「ならではの酒造り」を支えているのだと感じた。
経験や作っているものは違えど僕も料理を作っている。
酒造りとは異なるものだけれどまだまだ狙ったとおりに作ることさえままならない。
こんな人とは器が違うけどこの出会いに感謝しよう。
正直存在が大きすぎて誘われてなかったら足を運んでなかったと思うし誘われたときは内心「やべぇ、マジかよ。。。」だった。
実際お会いした石川杜氏はイメージ通りの知識量と博学さに加えて切れ味鋭いオヤジギャグをかましてくれるなんともお茶目な方だった。
大きな身体で大きな心。
偉ぶることなく自然体。
お話ししてくださること一つ一つが本で読んでた言葉の点と点が繋がっていく感覚でずっと心踊っていた。
一つ実感したのはこれだけの人たちには書籍で得た知識の引用やコピペは全く通用しない。
自分の歩いた道で自分の感じたことを自分で語れなくては届かない。
こんな大きな人と比べてはいけない。
自分は自分を磨いて行こう。
「好きを中心に据えてリスクを取る」