ある日僕は
ある日僕は、
悩むこと自体が人生の日課のようになり、いつしか好きだった音楽を聴けなくなり、鍵盤に触ることができなくなった。
好きな音楽を聴き、鍵盤に触れてしまえば、胸をえぐり取られるような気がしたからだ。
その後、なかなかの年月の間海の底に沈んでいた僕は、ある日突然、数年前に死んだ友人のために何かを弾いておきたいと思った。
そして僕は、しまいこんであった安物のシンセサイザーを取り出し、ピアノには程遠いペラッペラの鍵盤を(無理もない。ピアノではないのだから。)カタカタ言わせながら自分の演奏を録音したのだった。
案の定、指先は悲しいほど動かなかった。
骨折から治りたての人がいきなり立ち歩くトレーニングを始めるようなものだった。
そうして何週間か経ったある日。
なんとはなしに鍵盤を触るうちに、突然、複雑骨折していた骨が全て繋がったような気がしたのだった。
こうして僕は退院した。退院できたと思える瞬間があったのだ。
あいつが弾かせてくれたのだと思った。
僕はメルカリで、少しでもピアノの鍵盤に近く、なおかつ極限まで安く買えるデジタルピアノを探した。
15,000円で成約したそのデジタルピアノは、売主があらかじめ僕に念を押していたとおり、随所にキズがあった。
しかし、KORG社製のキズだらけのそのピアノは、僕には、使い込むほどに味わいが変化してゆく途中の革製品のように思えた。
なによりも、鍵盤そのものは一切損なわれておらず、きちんといい音がした。売主が最後までこれだけは守り通してくれたのだと思った。
そして、僕のタッチの強弱をきちんと反映させた音を出してくれるのが愛おしかった。
こうして僕は、少なくとも「1人だけで弾く」という点においては再生した。
もちろん昔のようには弾けない。
たぶん肋骨かどこかにまだヒビが残っていたりするのだろうと思う。
しかし
しかし
昔と違うようには弾ける。