アートシンキング -放課後雑談Log
昨日のことだった。
ZOOMにてアートシンキング の「アフタースクール」が急遽開催された。(いうなれば希望者が集いだべる気軽な会)
夜にSlackの通知音が鳴る。
アートシンキング担当の先生から突然の呼びかけ。
私はテンションがうなぎのぼりになった。
そういえば、以前そのようなことをやりたいと伺っていた。
そして、それを私は楽しみにしていた。
価値観を交流して認め合う場というのは、至極気持ちの良い空間である。
感情の押し付け合いこそ好まないが、心に受容が加わるだけで、凸凹な思考が渦を巻いて広がる感覚に、いつも胸が高鳴る。
そんな話し合いが起こればいいと、思いを馳せながら速攻参加した。
いやはや、本当に楽しかった。
本日は別段、密のある内容ではないが、アフタースクールの感想でも書けたらと思い、MacBookのキーボードに触れている。
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やはり話はITの学校らしく、テクノロジーの話が中心だった。
とても面白い話が聞けた。
世界のテクノロジーに関する話から始まり広がっていく。
国によるアプリ開発等の違い、今におけるテクノロジーに強い国、また今後テクノロジーが発展するだろう国の話。
それから、私の学校の先生は海外に在住していた人も多く、参加されていた複数の先生から、在住当時の話も聞かせてもらった。
詳細な内容は、密度が濃すぎて書くのは難しいのだが。
アートシンキングの先生のお勧めの国はスイスだそうだ。
スイスといえば、永世中立国であり金融関連に強いイメージ。あとはチーズや牧場……。(これは完全にハイジの影響)
一度は訪れたい国の一つだ。
世界を知ると自分の価値観がどれほど矮小であったかを知る。
ドラゴンクエストでいえば、Lv.100まで到達した後に転職してLv.1になるような。同じ職業=価値を繰り返し、称号を手に入れる為に経験値を稼ぐ気分。
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話の流れは世界から情報へと変わっていく。
「アートシンキングにおいて情報とは」という議題から話は発展していく。
情報の重要性の私見を聞いていると、気付けば議題は変わっていた。
日々を楽しく生きる話。
お勧めの本や映画の話。
おかしみのない作業の視点変換の話。
言い回しのコツの話。
政治に関する小話。
面白いと感じたものはメモ書きしながら聞いていたのだが、記録していたものだけでこんなにも、話していた。
1時間予定のアフタースクールが、気付けば2時間経過していた。
転々と話題が変遷していく。
これぞ話し合い。価値観の邂逅。
聞くだけで本当に面白い。
なんだろう。なんともいえないあの空気は。
今年の新年会に呼ばれた時もそうだった。
数人のITエンジニアの方がいらして、どういう経緯で今の仕事に着いたのか、ただただ聞いていた。けれども、面白かった。
思考のシャワー、心情に何かしらフィットする部分があるのだろうか。
私の人生で出会った人達は「話し合い」に興味を示す人はいなかった。
だから新鮮な体験かつ、喜びを感じる時間。
生きれば生きるほど、他の考えを知るのは楽しいことだと感じる。
私の考えは特殊であるからか、つらいことも多々あり。(自信復刻運動中)
故に噛み砕いて汎用的に言うよう努めているが、仮に理解を示す者がいたならばその者は聖人だと断言できる。
上手く討論できたら楽しいだろうに。
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そもそも会話というのは非常に頭を使う。
状況を把握し、聴く態度を改め、相手の言葉を理解し、同時に自分の考えをもち、意見を言葉にする。加えて感情的になっては会話は成立しないため、精神コントロールも重要になってくる。
これらを瞬間的に絶え間なく価値のキャッチボールを行う。
言葉にすると改めて凄みが解る。
コミュニケーションの才能がない私は、常日頃研究(独学だけれども)し続けている。いつになったって難しいことに変わりはない。
コミュニケーションは「話す」ではなく「聴く」なのだと教わった。
今はそれを意識して会話に臨んでいる。癖付けるには時間がかかるが、データを集めながら実験しているところだ。
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もう少し上手く伝えられていたら——と反省する点も所々あるものの。
結果として楽しかった。
こうやってnoteに書いてしまうくらいに。
交流は糧になると信じる。
学校の皆ともグループワークや企画を通して、自然に話し合えたら楽しいだろうと夢ばかり。まずは己が磨かねば。
更に知識を蓄え、思考を磨き、自己世界を追求した先にあるものを知りたい。そこでみたものを可視化できた時、何が生まれているだろう。そんな日、宮澤賢治が銀河鉄道の夜を執筆し始めた齢であれば嬉しい。
また開催されないだろうか。
次回も参加できたらと淡く期待してみる。
余談だが、マクドナルドのごはんバーガーにチキンタツタが追加されたらしい。食べたい。