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イラン社会とアルコール飲料

 ガージャール朝期のガフヴェハーネのなかには、アルコール飲料を提供するものもあったと以前に述べたが、サファヴィー朝期の特定の時代にもワインが提供されていた。1979年の革命を経たイランでは、アルコール飲料は「ご法度」だが、革命以前のイラン社会ではアルコール飲料の存在は当然のように存在していた。

 太陽を意味するシャムスとよばれるビールを製造していたシャムス社や、ウォッカやブドウから作られる蒸留酒アラクなどを製造していたメイキャデ・ガズヴィーン社などが革命前にはあった。革命後、アルコール製造・販売は禁止され、醸造所・蒸留所は閉鎖されたものの、必ずしも破壊されたわけではなかった。テヘランの「アルゴ工場」のように近年歴史的建造物として修復し、カフェとして用いられている醸造所2020年の新型コロナウイルス感染症拡大によって消毒ためのアルコール製造が必要とされたために再利用されたシャムス社の醸造所のような利用のされ方もある。

 アルコール製造・販売の禁止の一方で、革命後にも密輸されたり、密造されたアルコール飲料が販売されてきた。店の奥からもってきて、こっそり売るという具合である。密輸されたアルコール飲料はもとのパッケージのまま売られているが、国内で密造されたものはカモフラージュされている場合も少なくない。たとえば密造ビールを例にあげれば、一般に販売されているペットボトル入りのノンアルコール・ビールのパッケージに入れて売られている。なおアルコール度数は10%程度と高めに加え、密造ビールということであたりはずれもあり、飲んだあとに強烈な痛みを感じる場合もあるので安易に手を出さないほうがいい。

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 「闇で流通」するアルコール飲料のほかに、ぶどうジュースにイースト菌を入れればできる自家醸造のワインもある。イランでのワインの生産は、紀元前5000年に遡り、世界的にみてグルジア(紀元前6000年)に次いで二番目の古さをほこると言われている。イスラーム到来以降もワインはイラン社会で消費されており、特に神秘主義詩においては神の愛の喩えとしても言及されてきた。なおワインに用いられるブドウ品種シラーは、イランのシーラーズ原産というのは全くの出鱈目であるものの、神秘性をもたせるためにスペルをシーラーズに因んでShirazとした可能性は少なくない。

 こうした歴史的背景をもっていることもあり、Wine Culture in Iran and Beyondという論集が2014年に刊行され、ルーディー・マティーやウィレム・フロアーらも寄稿している。ガフヴェハーネでのアルコール飲料の提供について、社会的背景をもう少し理解しておきたいので、こうした研究についても目を向けてみたい。

(つづく)

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