見出し画像

婚活をして「幸せ」なろうとする男性。

noteのおすすめで出てくる婚活関連の記事を読んでいて思ったことがある。

特に男性(シスヘテロセク男性)が書く婚活日記系の多くには、共通する傾向がある。
まず、場を婚活「市場」として捉えている。
カードゲームのように男女それぞれの能力・数値を想定しているため、婚活における人の優劣の認識が大きくなる。
彼らには、ゲームに"勝つため"の「戦略」が必要になる。まるで「戦場」のようだ。そこには必ず「競争」の概念を入れたがる。
何のために勝ちたいのか。

「幸せを掴むため」

彼らの幸せは、この「市場」「戦場」で戦略を練り、なるべく「数値」の高い女性を「勝ち取る」ことで「幸せ」に至ると信じている。
彼らにとって、女性はゲームのカードみたいなものなのかもしれない。そこには強いカードやレアカードがあったりする。女性は、彼らの所有する「ステータス」であり、「自分が幸せになる」目的のための「道具」なのかもしれない。

偏見かもしれない。でも、そう感じずにいられない。

そういう人たちの別の記事を読んでいくのが好きだ。その人の複雑性が少しだけ見えるような気がするから。
一方では「人生は競争だ」というメタファーが背後に強くあり、それを激奨しているかと思えば、同じ人が「競争が日本の癌だ」「自分を人と比べるな」と言ったりもする。

その人の人生に対する「疲れ」さえも透けて見える気がする時もある。
例えば、その人の子供の頃の美化された話をしているとする。現在の彼らから出る「悲壮感」との対比で、美しい話をしているつもりが、どこか辛い思いがこちらにまで伝わってくる気もする。

その「『疲れ』『悲哀』は俺とは関係ない。自分は強い男なんだ」と暗に主張すればするほど、悲哀をより醸し出してしまう。読んでいる方もそれがさらに気になってしまう。

「結婚していない今の自分」「結婚している自分」
彼らにとって、この2つは別人なのだと思う。
そうやって「あるステータス」を、今の自分の状態と切り離すことによって、それを理想に仕立て上げることができる。
理想を持ったら、自身の抱える矛盾も何もかも気にせずに、ひたすらそれに向かっていけばいいから。だって、彼らにはそこに極楽浄土があると感じられるのだろうから。
あるいは、人生に欠けている感じ、不満を、その「理想」を達成できていないことに帰することが簡単にできるから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?