「アホの再生産」

ひろゆき氏が、自分の子供が中学へも行かないことを良しとする親の教育方針に対して使った言葉
https://www.chunichi.co.jp/article/234045

確かに、統計的にも貧困やいわゆる「悪」だった親の元で育った子は、その親と似たような経路をたどることが多い。

社会学の中では一般的かもしれないが、死別以外で離婚した親を持つ子の離婚率は他方より高かったり、親が二十歳前後のときに生まれた子も二十歳前後で子を産む傾向が高かったり、ヤンキーの子がヤンキーになるといったことだ。統計的なデータ以前にみなさんも身の回りでそう感じた経験が多いのではないだろうか。

「社会学の階層調査では、年代を重ねるごとに親の地位が再生産されやすくなっていることが分かりました。『ブルーカラーの子どもが医者になる』というような事例が極端に少なくなっているわけです。経済が急成長している時期なら、社会全体で賃金も底上げされているため、子は親の稼ぎを上回りやすい。しかし、今の日本は完全にマイナス成長で、身一つで階層を上げていくことが難しくなっているのです。そうなると、親の階層が子の階層に直接影響するようになってくるわけです」https://diamond.jp/articles/-/162585?page=3
親が今でもグレていると子供もグレやすい傾向にあります。https://yonotamedia.com/325
「親が離婚すると子供の離婚率が上がる」と言われることがあります。実際、「親の離婚が子供の離婚率を上げる」という研究論文もあります。https://rikonbengoshi-link.com/column/basic/00255/

つまるところ、親の気質は少なからず…というかかなり子供の人格形成に影響を与える。おそらく、今回の騒動のゆたぽんの親である中村氏も若い頃は暴力やドラッグ、暴走族として「悪」に染まっていたのが本当だとすれば、それを生み出した家庭環境も何かしら原因があったと推測できる。

▽中村氏に対する分析記事類
https://road-sign.biz/archives/6253
https://ameblo.jp/humayama0213/entry-12536447935.html
https://gamemovie.net/game/13173.html

そして、その親にしてこの子ありというところを見る限り、似たような思考が伝播しているようにもみえる。そう、再生産だ。

ここでいう思考とは、義務教育を受けなくてもよいという考え方だけでなく、論理的な議論ができるかどうかという点でもある。

ひろゆき氏が、中卒の教員免許もない素人が学校が提供するレベルの教育を家庭で提供なんかできるのか?という疑問・質問に対して、中村氏は「なんの資格もない中卒の人間が子どもに勉強を教えてはならないという法律でもあるのですか?」と返している。反論になっていないのに気づいてないのか、論点をズラしてでしか返せなかったのかは定かではないが、返しとして弱すぎるのだ。
この場合、論点は義務教育として全日本国民が受けることができる「普通教育」を子に提供できるのかである。

普通教育とはなにか。

文科省 第4条 (義務教育)
「九年の普通教育」
普通教育とは、通例、全国民に共通の、一般的・基礎的な、職業的・専門的でない教育を指すとされ、義務教育と密接な関連を有する概念である。

「義務を負う」
親には、憲法以前の自然権として親の教育権(教育の自由)が存在すると考えられているが、この義務教育は、国家的必要性とともに、このような親の教育権を補完し、また制限するものとして存在している。

憲法
すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う。義務教育は、これを無償とする。

https://www.mext.go.jp/b_menu/kihon/about/004/a004_04.htm#:~:text=%E6%99%AE%E9%80%9A%E6%95%99%E8%82%B2%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%80%81%E9%80%9A%E4%BE%8B,%E6%B3%95%E3%81%AB%E5%A7%94%E3%81%AD%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%80%82

つまり、9年間分の「全国民共通の一般的・基礎的、なおかつ国民に必要とされる教育で、職業的・専門的ではない教育」である。

確かに、それ自身がすべて完璧なもので構成されているかと言われると賛否は分かれるかもしれない。ただし、学校教育の中には、そこで体得することができる多くの社会性獲得のための経験も含まれる。それらの経験なしで、この厳しい社会を生き抜く術を得ることは無理とは言わないが、かなりチャレンジングなものになる可能性は高いのではないだろうか。

蛙の子は蛙。親次第で子供が変わるのは、残酷でもある。しかし、その生まれながらに背負った宿命からの差を埋めるべく解決策を提供するのが、先人たちからの英知を受け継いだこの社会なのではないだろうか。

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