シャングリラへゆく⑥香格里拉にある黄金郷
理想郷のことを人はシャングリラと呼ぶ
雲南の香りに魅せられて僕は旅をした
冒険家が探し求めたシャングリラに想いをよせ
奥へ奥へ雲南省の秘境を旅した記録
①から読めばより深く楽しめます
シリーズ「チベットへゆく」の第二部
シャングリラへゆく物語
雲南省 麗江古城に遊びにきて
久しぶりに再会を果たした旅館経営で成功した
趙さんと麗江の裏話を色々聞いた夜が終わり
翌朝、麗江を離れ更に北へ北へと進路をとり
香格里拉市へと向かった
小説に登場した幻の理想郷シャングリラを
採用し改名した雲南省の奥地
海抜3300mに位置する田舎都市
幻のシャングリラは実在していな為
どの当たりを指していたかは
小説を書いた作者以外知る由はない
チベット語の語源から推測すると
シャングリラの語源はツァン地方の北側を
意味すると言われているから
雲南省ではない
ツァン地方から北
この当たりの広大な未開の地
このどこかに
幻のシャングリラがあるとされている
有名になった実在しない名を
観光目的で採用し香格里拉市となる
この地には有名なチベット寺と
大きな古城がある
チベット文化圏で古くから栄えていて
茶葉古道の通り道でもある
茶葉古道とは
雲南省の南にある普洱で採れる茶葉を
チベットへ運ぶルート
シルクロードと同じく茶葉を運ぶ為に
発展してきた村や路
運搬方法から普洱茶の製法も進化
元々普洱茶は緑茶だった
長い移動とチベットの険しい山を越え
運ぶ途中に乾燥と夜梅雨で湿気を吸収を
繰り返し自然に二次発酵され
黒茶になったと言われている
古城の名前は独克宗古城だが
香格里拉古城と呼ばれている
麗江と同じく木造建築で狭い路地
建物が密集し歪な建造物が並んでいて
綺麗な歴史ある古城のはずだった・・・
というのも残念な事に
2014年の火災で半分以上が焼け
大きなニュースになり
僕らも上海の家からニュースを見ていた
1200年以上続いた風景は半分以上が姿を消した
火災後、古城内は再建
その為、ある程度区画整理され開発された
やはり木造で狭く蜜集していたから
1件の旅館の深夜の火災が町を
一夜に消してしまった
ここに来た目的は
古城散策もあったけど
チベット仏教で有名な寺の
松贊林寺に行くため
最も偉大でチベット仏教に貢献し
拉薩のポタラ宮殿で一際目立つ
霊塔、仏塔持つダライ・ラマ5世が
建てたゲルク派の寺
ダライ・ラマ5世は晩年、政治から身を引き
宗教活動に専念し
各地にいくつかの寺を建てている
その一つがこの寺
この寺の前にある大きな池は
来世が映る池と言われている
今は修行僧は300前後らしく
この寺の規模では かなり少ない
徐々にチベットにある有名な寺は
観光地化し収益を上げる代わりに
信者も都市化した生活へ流れ
仏教の極意を志す僧は
現在、この国に どれほどいるのだろうか
寺は小さなポタラと呼ばれ
何となく作り方が似ている
山を背景に建つ事で
視覚効果で寺が巨大に見える
ポタラ宮殿もそうであるように
背景に山が近いと遠くから見た時
寺に迫力を感じる
この寺にはもう一つ言い伝えがある
僕が来たかった理由の一つでもあった
僕の好きなダライ・ラマ六世から7世へと
繋がる話が伝わるからだ
ダライ・ラマ六世は20歳頃になると
夜に寺を抜け出し
町で酒をのみ遊び同じ歳の青年と同じく
恋もした
その時に
多くの詩を残している
そして仏教的修行に身が入らなくなる
チベットを軍事面で支えていたモンゴルの
ラサン・ハーンは偉大なダライ・ラマ5世を
尊敬していた為、生まれ変わりの六世の行動に
幻滅し、耐えきれなくなり
六世を捕らえ、偽物だと公表してしまう
ダライ・ラマ六世は偽物の烙印をおされ
チベットとモンゴルの仲に亀裂が生じる
六世がラサンに拘束された時に
チベットも再度、神託師を使い六世の事を占う
すると、彼は「偽物ではない、本物」と
お告げが降り
ラサンから奪還しようと
モンゴルとチベットは一触即発
北京の皇帝に呼びだしを受けるラサン
六世を北京へ連れてくるように言われ
六世は
チベットとモンゴルの危機的状況を打破する為に
拉薩を離れ北京の皇帝の元へラサン達と旅立つ
北京に連行途中に青海湖の近くで謎の急死
23歳の若さで肉体を捨てた
ラサンの手により
別の六世が拉薩に連れてこられ
こっちが本物だ として
死んだ六世の選定は間違えだった
という事にした
その後、
連れてこられた新六世は
あまり庶民から愛されなかった
しかし急死した六世の
悲しき生き様は彼が残した詩と共に
多くの庶民に愛された
六世の死は実は謎に満ちている
その遺体は本来ミイラ化するのだが
偽物という事もあり回収されてない
一説には最高指導者のダライを捕まえ
罪を感じたモンゴル兵により
モンゴルへ身を隠す為に逃がした説がある
連れてこられた新六世はもう成人していて
幼少期からダライとして教育を受けていない
中途半端な状態
とは言え新六世がポタラに存在している
その裏で実はゲルク派の僧たちは
六世の生まれ変わりを探し始めた
その時に探すきっかけとなったのが
六世が残した一つの詩
この詩から
次の転生児は理塘で生まれると
推測され、捜索が秘密裏に行われる
新六世がポタラに健在中なので
表立ってダライ探しはできない
極秘事項だった
ダライ・ラマ六世の急死から3年後
理塘でケルサンという名の男の子が誕生
母親が理塘にある僧院に
子を連れ参拝した時、僧侶の一人が
ケルサンに出会い急にトランスした
トランスというのは、わかりやすく言えば
誰かに体が乗っ取られ
本人以外の能力を得ている状態
本人の意識は薄くあり
誰かが自分を操つってる感覚
(日本でいうイタコもその部類)
古くからチベットでは仏教が入り込む前より
シャーマン的な神託師を使う儀式があり
仏教と融合しチベット仏教でも
伝統的にシャーマン的な存在がいる
有名なのがネーチューン神託師
ネーチューン寺(拉薩にある寺)で
代々引き継がれる
神託師が歴代ダライを選定する時に
仏を降臨させたり占いをしたり瞑想したりして
ダライ選定に大きな影響を持つ
現在も同じく
14世がインドのダラムサラに亡命政府を樹立後に
真っ先に取り組んだのがネーチューン神託師探し
この能力を持つものを探す事を進めた
しかし簡単には見つからない
神託師は、成りたくて成る職業ではない
トランス能力を兼ね備えた
能力者でなければいけない
そして、適した能力の持ち主は
そうそう出会わない
ある意味ダライ・ラマより見つけるのが
難しいかもしれない
理塘の高僧がケルサンを見て急にトランスし
僧は母親に「この子は詩人法王の生まれ変わりです」と告げる
その話を知った拉薩では
ケルサンを預かりたいと母親に申し出る
まだモンゴルのラサンが連れてきた
新六世が拉薩に居る
ケルサンの話は北京の皇帝(康熙帝)まで届き
チベットの裏にモンゴルが付いている事を
よく思わない大清国側は自分たちが支援する為
クンブム僧院で教育する事をチベットへ提案する
クンブム僧院は青海湖付近にあり
ツォンカパが生まれた地に
ダライ・ラマ3世が建てた寺
ダライ・ラマ14世とも縁がある寺
この寺はチベットの東端に位置していて
都が北京の大清国でも目が届きやすい位置
北京から拉薩はかなり遠い
モンゴルのラサンからチベットを切り離し
自分たち(大清国)がチベットに影響力を
持とうと企む意図も見え隠れしていた
この提案にのりチベットの拉薩の僧院長たちは
大清国の軍事的バックアップを背景に
モンゴルのラサンを追い出したい思惑があった
色んな思惑が交錯し
ラサンに見つからないように
ケルサンは母親から遠く離れクンブム寺に行く
のだが
その前に、ここ雲南省の
松贊林寺で少しの間
身を隠くす為に過ごしているという
逸話が残っている
こんな山奥の奥にあるゲルク派の寺
ダライ・ラマ5世が建てた寺で
ダライ・ラマ7世が幼い頃に
少し滞在した逸話が残っている
ゲルク派六大僧院には数えられていないが
有名な寺の一つで
その寺のビジュアルが美しい
そんな歴史的背景を踏まえ
この寺を僕は一度
この目で見てみたいと思っていた
山奥の奥の奥にある黄金郷
何もない山の奥で この寺を見あげた僕は
思わずシャングリラとつぶやいていた
人は皆 シャングリラを目指す
理想郷を求め旅は続く
⑦ チベットに受け継がれる埋葬方 へ続く
↓↓聖地巡歴記 インド編 はこちらをどうぞ!
↓↓聖地巡歴記 西安編 はこちらをどうぞ
↓↓聖地巡歴記 ミャンマー編 はこちらをどうぞ
↓↓聖地巡歴記 南京編 はこちらをどうぞ