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アイルトン・セナ 僕が見たタンブレロ

F1ドライバー  アイルトン・セナ

僕が学生だった頃日本にF1ブームがやってきた

その当時のF1で繰り広げられていたセナ対プロストの戦いは単に自動車レースとしての枠を超え、世界をセナ派かプロスト派かの二分したほど注目を浴びていた

数年に渡り生死かけ戦ってきた二人の戦いは
レースというより人間ドラマそのもの

アラン・プロストが現役引退した93年
翌年

1994年5月1日
F1 第三戦サンマリノGP(イタリアのイモラにあるサーキット)現在はGP名をエミリア・ロマーニャGP

7周目
ホームストレートを越えて、アクセル全開のまま左に曲がる緩やかな1コーナーがタンブレロ コーナーマシンは直進しコンクリートウォールに激突

そして伝説のドライバーとなった

セナは34年の生涯をレースにささげ

1位のまま、誰にも抜かれる事なく
この世界をF1界を去った事になる


真後ろを走る若きシューマッハは
憧れのセナをレースで倒し
チャンピオンを取る夢はついえてしまった

1997年
僕は一人バックパッカー旅でヨーロッパにいて、その時にセナの亡くなったサーキットを見たい!と思いミラノにある書店で地図を見てサーキットを探しに行くことに

当時の手掛かりは
サーキットの地名がイモラという事を日本でF1中継を見て思い出し、とりあえずイモラを探し町に向かう為にミラノから電車に乗った。イモラという駅に行けば手がかりがあるだろうと。それだけの情報で向かったのだった

フェラーリの地元のマラネロにも近くイモラにあるサーキット名はエンッオ・エ・ディノ・フェラーリでフェラーリ創業者の名のサーキットでもある。フェラーリ本社のお膝元。

のどかな田舎町という感じで駅に着き町を抜けるとサーキットがある

町に公園があり、その中にサーキットがあるような感覚でヨーロッパらしい

僕が行った時は、まだ
セナが激突した壁には生々しくも
激突跡のような黒いタイヤ跡がまだ残っていた

タンブレロコーナーセナが激突した壁

その後、タンブレロコーナーは改修され
S字コーナーになり、もう当時と同じコーナーを見る事はできなくなっているのは少し残念だ

①番が当時のタンブレロコーナー
②番が現在のタンブレロコーナー

時代は大きく変わり技術も毎戦進化するF1界。チーム戦略、マシン技術、メーカーの戦いと華やかな側面も多く話題が尽きないF1界でもある。

セナの時代を見てきた人は知っているだろうけどF1はスポーツでもあり政治でもあった。
そして人間ドラマ!

見どころはドライバー同士の戦い!技術よりもテクニックや度胸がタイムを出すために必要だった時代の最後かもしれない

ホンダとの深い関係もありセナは日本人に愛されていた

セナをタイムリーに観てきた人なら知ってるけど、セナほどマシンを極限でコントロールしていたドライバーは後にも先にも、いないかもしれないと今でも思う

もちろん比較も出来ないしチャンピオンは皆同じく素晴らしいドライバーしかなれない。
シューマッハも、ハミルトンもマックスもアロンソも皆んな飛び抜けているドライバーである

セナの走りは見る人の心に響く走りとよく言われるのが印象的で、悲しさを背負い、国を背負い、信じられない奇跡のラップタイムを刻む

そんな奇跡を何度もTV越しにみせられてきたから。

そして早いだけでは、この世界では勝てない
チームに恵まれマシンに恵まれる必要がある

レースの女神に愛されなければ
勝つことが出来ないのが
F1の歴史でもある

それは今の時代でも変わらない

たった一つの頂点を目指し
これだけ大勢の大人たちが心に響く
エンジン音に魂を震わせチャンピオンをかけ戦いがF1

よく大人のオモチャ箱とか言われるほど皆んな夢中になる。

あれから、いつかまたセナのような
ドライバーが出るんじゃないかと思いF1を見続けているんだけど、MAXにそんな面影を感じこの日を迎える。あれからもう29年も経つが何もエンジン音は色褪せてない。ホンダミュージックはセナそのものだった。

タンブレロコーナーの内側

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