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上海妻と僕の国際関係①

僕の妻は上海人。僕は国際結婚を選択した。

僕には国際結婚という壁はなかった

30歳になった時
急遽仕事で中国上海市に行く事になり
僕は日本を離れる事になる

その出来事は人生計画を白紙に戻すような
大きな転機となった

上海に製造工場を作り
そこで僕は日本向けの製品を作る為に
指導しながら働く事になる

そこで知り合った一人の女性と恋に落ちた。

上海に来た時、僕には日本に恋人がいた

しかし日本に戻れない環境で会えなくなり
いやそれ以前から徐々に距離を置いていた
関係もあり自然消滅かのように短い最後の
別れの言葉をかわし関係を断った。

新天地で生きて行かなければならない
人生の悪戯に翻弄されながら
この中国 上海で
生きていく事の選択を迫られていた。

もう結婚は出来ないかもしれないな――と

日本と中国に行き来する毎に思うようになる。

上海に来て色々な中国人と知り合い、
言葉以上に文化や習慣、生活環境などの違いを
感じていたから、この先

中国人と結婚するなんて絶対ない。
と思い始めていた自分がいる。

お互いが背負う文化、習慣、背景が違い過ぎる

もう30歳だ。
早く日本に戻らないと本当に結婚できないと
焦りもあった。

中国で働き半年が過ぎ
通訳の難しさを感じている時に
新たに通訳として入社したのが後に
妻となる上海人女性だった。


初めて僕らが出会ったのは、会社に行く車の中

朝、車に乗ると、
その女性が一番後ろの席に座っていたので
直ぐに通訳さんと気づき僕は隣に座った
彼女は

「今日から入社した劉といいます。初めまして」と丁寧な日本語で挨拶をしてきた。

僕は
「よろしく。ところで承認って日本語知ってる?」といきなり仕事の話

しかも 
唐突に日本語どれくらい知っているのか聞いた。

劉さんは
「しょうにん はい 承認 わかりますよ」

僕は
「よかった。以前の通訳さん 承認が通じず苦労したんだよ」

初めて会話したのが 承認って しってる?
という馬鹿な会話だった。

それから、僕らは一緒に仕事を通じて
お互いの性格や仕事に対する姿勢など徐々に
知るようになる。

劉さんは一番最後に車を降りる為
仕事の帰りに食事に行く機会もあり
仕事以外の話も多くなりプライベートでも
遊ぶ仲になっていた。

日本語が堪能な劉さんに違和感がなく
日本人と会話するように話をしていた。
言葉だけじゃなく他の会社の女性達と比べても、
文化の違いや習慣の違いを感じない為、
本当に中国人?と疑うほどだった。

いつしか、僕らは付き合うようになっていた。

その辺は 人民熊猫健健 でも少し触れているので探してみてください

そして僕たちは色々ありながらも
国際結婚という選択をする事になった。

その辺も今後の人民熊猫健健で
ご紹介を出来ればと思います


そして、国際結婚を選択した僕と劉さん。
正直深く考えていない。
人生の成り行きに身を任せたというのが正直な
感想だった。

僕には国際結婚だという感覚はうすかった。

見た目も日本人と変わらない。
言葉も変わらない。
何が僕らを国際結婚だと決めるのか。
見た目ではない。
それは紙に書かれた国籍で
生まれ育った国が違うだけ。

髪の色が金色で目の色がブルーのように
明らかに見た目が変わる人種なら
国際結婚だとみえるかもしれないが、
恐らく僕ら二人は、見た目では判断できない。

中国人と結婚は絶対にしたくないとまで
思っていた僕の感情は嘘のように

この女性には嵌らなかった。


日本で日本人と結婚するしか考えていなかった
僕は、この結末に自分自身が驚く。

日本人と日本の文化の中で暮らし歳を重ね
縁側でお茶を飲むような理想の老後・・・

そんな子供の頃描いていた
結婚という漠然としたイメージは
全て日本という枠の中での話だった。

しかし、
運命の人と出会った場所は日本ではなかった

出会いというのはいつだって運命的
偶然かのようで必然で奇跡的なようで運命的

人は人の事を深く知る機会が少ない

しかし深く知る事ができれば、
心の距離は引き合うように近くなる。

そこに
人種も国境も肌の色も瞳の色も
言葉も文化も国籍も関係ない

心にある高い壁はいとも簡単に超えた。
単純に その人が好きだから

それは僕が身をもって体験したから言える事だ。

僕には国際結婚という壁はなかった

そう思えた。

僕が選んだ国際結婚という道。

この人生の選択が、
僕を どういう運命に導くのか
僕はまだ知らなかった。

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