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聖地巡礼記チベットへゆく⑪ポタラ宮殿と偉大なダライ・ラマ五世

チベット(西蔵)へ聖地巡礼の旅

仏教は長い歴史において
実は今大きな転換期をむかえている

仏教史において後世語り継がれるであろう
時代を僕らは生きている
そして歴史の目撃者となる

ポタラ宮殿と偉大なダライ・ラマ五世

朝の巡礼を終え僕らは
ポタラ宮殿の入り口でガイドと
待ち合わせをした

真下から見ると
天を見上げるような壁にみえ
左右は包み込むように広がっている

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ようやく来ることが叶った場所
チベット仏教の歴史の詰まった丘
でありダライの城

マルポリの丘には
チベットを統一した
ソンツェン・ガンポ王が瞑想修行した
洞穴があり
その場所を中心に建設されている

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ダライ・ラマ五世が建設を命じるが
五世は完成した宮殿を見る事なく
魂は転生する

完成後、ダライ・ラマの
教育と修行の場
政治を執り行う場として
チベットの中心的な
場所となる

結構上まで屋外階段をジグザグに登ると
東門に着き中に入る

暗いトンネル階段を登りきると
前室を抜け丘の上に相当する
中庭へ出る

目の前には白宮と呼ばれる建物
白宮のバルコニーから中庭が一望でき
ダライ・ラマも中庭で修行する僧や
来客を覗いていた窓である

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白宮はダライが住む部屋がある建物
その奥に紅宮(ポタン・マルポ)の
仏塔殿、霊塔殿がある


白宮、紅宮は写真撮影禁止
頭に焼き付けるしかない

狭い急な階段を登り
白宮に入る

ひんやりと涼しくお香の匂いが鼻につく
薄暗い中に座る仏の数々
どれ一つとっても価値の高い本物
仏に見つめられる中 何部屋かを通り抜け進む

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中は迷路のように入り組んでいる
一方通行に進み観光ルートは決まっている

ガイドが
部屋、仏具、仕掛け、言い伝えなど
色々説明してくれる
チベット仏教徒だった彼の
優しい口調から
この場所への想いが伝わる

一昔前まで
ここまで入れる人は限られていて
博物館として開放された事で
見る事が叶っている

ダライ・ラマが住む部屋として
現法王と前法王の部屋があり
順次入れ替わっていくらしい

十三世の物は多く残されていたが
十四世に関しては少なく
敢えてふれていない様子

諸外国からの贈り物も多く貯蔵され
部屋は至る所に仏具が並ぶ

外から見るより中は意外と狭い
ここで歴代ダライが生活し
修行していた事を想像した

十四世も 子供の頃かくれんぼして
遊んでいたという話を思い出した

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ソンツェン・ガンポが瞑想した洞穴は
パワースポットに違いない
ここで瞑想したら
トランスするのだろうかと思ってしまう

何個かの部屋を見て
紅宮へ移動

紅宮は歴代ダライ・ラマの
仏塔殿、霊塔殿があり
仏塔にはお経や仏具が収められている
霊塔殿にはミイラが収められている

ミイラを見る事はできないが
装飾に飾られた霊塔を拝むのは
特別な気分になる

紅宮に唯一安置されていないのが
訳あってダライ・ラマ六世だ

そしてきっと十四世も
安置される事はない

最も注目すべきは五世の霊塔で
一番大きく豪華で宝石も沢山使われている
黄金色に輝き五世への功績を形にしている

九世のようの若くして亡くなった
ダライの塔は小さく成した業績により
規模は変わっている

ゲルク派開祖のツォンカパの弟子であった
ゲンドゥン・トゥプパ(一世)は
自分の後継者にギャムッオと名乗るよう遺言した

チベット語で大海という意味になる

1475年前世の記憶を持つ3歳の子
サンギェー・ぺルが
けた違いな記憶能力を持ち有名になり
ゲンドゥンの生まれ変わりと言われ
のちに二世となる人

遺言通りぺルは
ゲンドゥン・ギャムツォと法名を授かり
20年かかる修行も3年で終えた能力だった

二世の死後
ニンマ派の家に密教に高い関心を持つ子
ソナムがいて二世に仕えてた僧が
少年に会い転生児と直観し任命された

ソナム・ギャムツォと法名をもらう

彼に興味をしめしたモンゴルの権力を持つ
アルタン・ハーンと会う事になり

アルタンから
ダライという称号を授かる

大海をモンゴル語でダライと呼ぶ事から
ダライ・ラマ(大海の高僧)という称号が
この時より登場する

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ソナムは名誉な称号をもらうが
亡くなった二人の僧に称号を贈る事にした

その為
一世 ゲンドゥン・トゥプパ
二世 サンギェー・ぺル
三世 ソナム

自分はダライ・ラマ三世だと名乗る事にした

一世、二世の時はダライ・ラマという呼び名は
存在していなく後に付けらている

この頃モンゴルと非常に関係を強固にしている時代

その為、四世はモンゴルで転生児が発見され
モンゴル人のダライが誕生している

四世は20代後半の若さで転生し短命だった

そして五世になる ロサン・ギャムツォへ繋がる

五世のダライ認定は難航し
最後に3人に絞られる

モンゴルとの政治的な駆け引きもあり
またモンゴル人ではチベット教育も上手く機能
しない、モンゴルで生まれては
直ぐにチベットで来て修行に入らない
国家間の問題があった

3人に絞られた候補は
最終的にくじ引きで決められる

この辺りがダライの転生活仏劇の
面白い点だと思う

転生児探しは時に神秘的で神がかってるが
時には政治的で思惑も裏にある

しかし選ばれた五世はバランスの取れた
優れた人物だった

五世は幼い自分を指導してきたタルシンポ僧院の
座主をパンチェン・ラマと称号を与える

そして
ダライ・ラマとパンチェン・ラマはお互い
相互作用しながら関係を固め
ゲルク派2大転生活仏として歴史を歩んでいく
礎を築く

五世は晩年、仏教に専念する事から
サンギェ・ギャツォ(27歳)を執政にし
権限の大半を渡し政治を委ねる

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仏教的優れた指導者と政治の指導はまた別で
両輪は難しい

歴代ダライ・ラマを見てると
五世は上手く務めた方かもしれない

五世は遺言で
落ち着くまでは私の死を秘密にしなさい と
サンギェへ告げる

五世はかなり影響力を持っていた為
自分が亡き後の政治的混乱を避けるため
死を直ぐに公表せず時期をみて
公表するようにという事だった

そして、この遺言が後に
ドラマを生んでく

まだポタラ宮殿の完成には時間がかかる
五世の力が及ぶ内に建設を進め
権力的にも地位の地盤固めが必要だった
その思いもあり
サンギェーは五世の死を
なんと13年間も
隠す事になる

13年間も隠し通している
この時に使われた手法が

法王は長い瞑想に入られた

という事だった

瞑想修行は長い年月を費やす事がある為
珍しくはないが

それにしても13年は長い

その間の接見や他の行事に関しては
瞑想修行を理由に回避したり
顔をみせない接見で代役で対応してきた

実に13年という長い年月も瞑想している
という事になった

そしてポタラ宮殿が完成し
五世の死を公表

その間にサンギェーが
秘密裏にダライの死後に
転生児探しに力をいれていた

ポタラ宮殿の完成の後
ダライ・ラマ六世も公表される

五世が偉大だっただけに六世は
同じく期待されていた

しかし六世のミイラは紅宮には
安置されていない

この13年死を隠した事で
思わぬドラマを生んでしまう
ダライ・ラマの歴史

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五世の高い評価で豪華な仏塔、霊塔は
ある意味13年間を費やし作る時間かのような
豪華さにも見えてしまう皮肉さも感じた

この他にも初期の教典やかなり古い仏像や
膨大な量がゆえに調べる事のできないような
教典が山ほどある

開く事もない古い古い経典

般若心経を超える教典が
眠ってるかもしれない

うす暗くホコリも多いポタラは
博物館としては適していないが
ある意味 昔のままともいえる

かなり駆け足で見て周ったけど
もう一度ゆっくり見てまわりたい
何より写真に納められないのは
残念だったけど
心には焼き付いた

ポタラを後にし六世の愛する女性が
いた場所に行くため
再びジョカン(大昭寺)へ向かった

ポタラ宮殿と偉大なダライ・ラマ五世

唯一 訳がありミイラがない六世
でも
最も好きなダライは誰かと尋ねると
いつの時代も六世の名をあげる人は多い

⑫へ続く   恋するダライ・ラマ へ続く

チベットへ行くはシリーズでつづっています
是非過去記事からどうぞ!

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓過去記事はこちらをどうぞ!

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓聖地巡歴記 インド編 はこちらをどうぞ!

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓聖地巡歴記 西安編 はこちらをどうぞ


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