自分の言葉を探しに行く
「なんで大学院に通ってるの?」
最近、この質問を受けることが多い。
理由を挙げると以下3点だ。
① より高いレベルの研究者+教育者+アーティストを目指しているから
② そのためのプロセスとして博士が必要だと考えたから
③ これからの時代、その人ならではの考え方が重要になるから
今まで、社会人や大学等で多くの講師の機会をいただいてきた。それらの現場で感じたことは「伝えることは最大の学びである」ということだ。人に伝えるためには漠然とした理解では足りず、自分の言葉にする必要がある。なんとなく分かっていることと言葉にできることは理解の解像度が根本的に異なり、自分の言葉を持たずには人に伝えられないのだ。
解像度を高めるために研究し、自ら試し、フィードバックから学び、得られたノウハウを人にも共有する。このようなスパイラルをぐるぐると描くことが自分らしさにつながると感じるようになった。以前に「影響のデザイン」という記事で真のモチベーションは人の笑顔に触れたときに得られると書いたが「もっと高い次元で笑顔に触れたい」そうした思いが強くなり現在に至っている。
また、昨今の急速なAIの進化も大学院での学びを本格的に検討するきっかけになった。これからの知的活動においてAIは無くてはならないものになり、多くの仕事を変えるだろう。知識の価値は相対的に下がり、新たな価値を見定める「問いの時代」が訪れる。現実の違和感を見抜く視点、固定観念にとらわれないモノの見方や考え方をもって人や社会に影響を与えること。それこそが人が存在する価値になるだろう。
だから、私は自分の言葉を探しにいく。
以上が、大学院で学ぼうと思った動機である。
Photo by Guillaume Bourdages on Unsplash