Ken-ichi KAWAMURA
クリエイティブに関わる、マインド面での気づきをまとめています。
「ビジュアルクリエイターのためのTOUCHDESIGNERバイブル」では誌面の都合上、触れられなかったテーマについてまとめていきます。
「デザイン、エンジニアリングに比べて、アートの教育は難しい」 これはデジタルハリウッド大学大学院の木原民雄教授の授業「デジタルコンテンツの理論と実務の架橋」の中で話されていたことだ。 振り返ると自分のこれまでにも当てはまる。 20代のころは目の前の現実を追うことがひたすら楽しかった。 30代になると20代のやり方は通用しないという現実にぶつかった。 40代になると物事の根底に興味が移り、ようやく学ぶことの意味が分かってきた。 仕事の多くは「不の解消」であり、自分が関わ
人工知能を活用した展示会落合陽一さんが監修・指導する、デジタルハリウッド大学講義・メディアアート成果発表展示会【みちっとむちっと展】に参加させていただきました。 デジタルハリウッドといえば、CG、近年では起業、サービスデザイン等を連想される方が多いと思う。なにせ、スクールには2度通い、今は大学院にも所属している僕自身がそのような認識でいたわけだけど、今回の授業を通してデジタルハリウッドにはメディアアートに対するノウハウがかなり溜まっているという事実を知った。そういえば、大
ニクラス・ルーマンの「安心」と「信頼」の話を読んだ。 「おかしなことは起こらない」というのが安心。 「色々あってもOK」というのが信頼。 安心は脆弱、信頼は強靭。 そもそも、生物にとって自然は危険を伴うもの。 一人では生活できないことから、人は社会を築いてきた。 科学の進化に伴い「コントロールできて当たり前」という認識が世の中を覆った結果、想定外の出来事にとても敏感で、極度に繊細な世の中になった。 安心から信頼へ。 「色々あってもOK」と構えることが人を強靭にし、
「なんで大学院に通ってるの?」 最近、この質問を受けることが多い。 理由を挙げると以下3点だ。 ① より高いレベルの研究者+教育者+アーティストを目指しているから ② そのためのプロセスとして博士が必要だと考えたから ③ これからの時代、その人ならではの考え方が重要になるから 今まで、社会人や大学等で多くの講師の機会をいただいてきた。それらの現場で感じたことは「伝えることは最大の学びである」ということだ。人に伝えるためには漠然とした理解では足りず、自分の言葉にする必要
経験則から学ぶ 先日、たまたま見ていたTVで「なぜ、泣いている子供は抱っこして歩くと泣き止むのか」その理由が語られていた。(※1) 人類が野原を駆け回っていた時代。 危険を察知して逃げる時、子どもが泣いていると外敵に見つかってしまう。この影響で、子どもは抱っこして歩くと泣き止むようになったとの事だった。 ※「抱っこ」とは書いているものの、移動して動くと泣き止むのでベビーカーでも泣き止むとのこと 体内でも面白い変化が起きていて、抱っこして歩くと心拍数が顕著に下がる。心拍
デジタルハリウッド大学大学院「先端科学原論」(藤井直敬教授)の講義にて「自由意志はあるのか?」「腸の状態によって性格が変わる」という話があった。 身近な事例を通じて、このテーマについて考えてみたい。 意志の境目ある実験(※1)によると、人が決断したと認識する0.5秒前に脳から信号が出ているという。 私たちが自分の意志と思っているものは脳反応の結果に過ぎないかもしれないというわけだ。 この授業の日、僕の顔と手には引っ掻き傷ができていた。 授業の前日にソルちゃんの首元を撫
本原稿は、デジタルハリウッド大学大学院「先端科学原論 藤井直敬教授」の課題用に書いたものです。 CMでは伝えられないもの現実を捉える上で「非言語コミュニケーション」の大切さが言われて久しい。 「言語コミュニケーション」とは、言葉のみを使ったコミュニケーションのこと。メールや手紙などがこれに当たる。言葉のみで伝えるため、情報を明確に伝えられる一方、感情を伝えることは難しい。 一方、「非言語コミュニケーション」とは言葉以外の要素(聴覚・視覚)で伝えるコミュニケーションのこと
昨日、大学院の講義であった問い。 「AIの進化が怖いと思いますか?」 僕の答えは、半分YESで半分NO。 YESだからこそ、これまでのノウハウでは戦えなくなると思い大学院に通うことにした。これから5年かけて博士を目指す。 NOなのは、AIは間違いなく天才だが、万遍のない知識が人間らしさを損ねている。 人は正解を知りたいのではなく「話を聞いてくれる人が欲しい」「感動したい」そういう生き物だ。 人間らしさや、その人固有のモノの見方、表現がこれからの人に問われると感じて
会社、チーム、コミュニティに属さずとも、圧倒的な個人力がある人は沢山いるし、実際、個人が着目される時代になっている。 では、現代人は周囲と関わる必要が無いのだろうか? ここでスポーツを例に考えてみる。 「超えられない」と思われていた記録も1人が更新すると周りも追従することは良く知られている事実だ。もちろん、これは技術の進化やトレーニング方法の確立等も影響があるだろう。ただし、このような傾向はスポーツ以外のジャンルにも当てはまることを思うと、人は想像以上に影響しあえる生き
最近のAIの衝撃は、写真が登場した時と似ている。 当時も「人が何をするのか」が問われていたからだ。 アートの歴史を振り返ると、リアルな描写が全盛の時代があった。 そんな中、突如として写真が現れた。カメラを使えば一瞬でリアルな絵ができあがる。この品質を見て多くの人びとは思っていた。 「写真の登場でアートは死んだ」 そんな中、マティスが「現実をそのままトレースするだけがアートではない」というメッセージを伴った作品を発表しアートを復活させた。続いて、ピカソが「一枚の絵に多視
2022年はオフラインで集まれる機会が徐々に増えてきて、少しずつ活動を再開できた年でした。 以下、時系列順で振り返ってみたい。 自作PC高度なことにチャレンジする上でPCスペックがネックになっていた。 そこで、思い切って開発環境を一新。 当初は既製品のPCを検討したところ「デザインと機能を両立するためには自作しかない」と思うに至って理想のマシンを組み上げた。 心のどこかでスペックを理由に手を止めていたところがあったのは事実で、やらない理由が無くなった点こそ最大の収穫。 ク
最近、「歳相応」の役割があると感じる事が多い。 社会人なりたての頃、生活する上で優先すべきものは自身の内側にあった。 結婚後は、優先すべき事が家族になった。 子供が産まれると、生活の主役が自分自身ではなく娘になった。 こうした傾向は仕事にもいえ、最近の関心は個人的な目的達成よりも「周囲の環境にどう貢献できるのか?」という課題感がより強くなっている。 高校の頃から精神年齢は一切変わっていないにも関わらず、人生のPivotは時と共に変わっていく。 「歳相応」というと、
今年のニコニコ超会議2022・超テクノ法要に向けて、手掛けたVJ映像をYouTubeの再生リストにまとめました。 夜な夜な朝倉さんのトラックを聴きながら、ビジュアル作りのためパッチを組みまくっていた時間が早くも懐かしく感じられます。 最近、テクノ法要というのは「コンテンツ」ではなく「プラットフォーム」なんだろうなと感じています。 ニコニコ超会議でも”超テクノ法要”という土台があって、そこにお坊さんやVJ、香りの演出、マスでも活躍されている芸能人さんと、沢山のアーティスト
ノルウェージャンフォレストキャットのソルちゃん。 とっても温厚で、めったに鳴かない上品な女の子。 そんなソルちゃんも、悪戯に対してウッカリ怒ってしまうと、逆ギレしたように声をあげる。一方、悪戯をやめたことを褒めてあげると、普段以上にご機嫌なソルちゃんになる。 怒ることと褒めること。 これらはともに「悪戯はやめてね」というコミュニケーションの形だけど、後者の方が遥かに幸せなのではないだろうか? 活きる場所 ソルちゃんが家にやってきたとき、「爪とぎハウス」なる小屋を買
昨年からの課題として、3DCGをゴリゴリ使ったハイエンドコンテンツを検証するにあたって、PCスペックがネックになっていた。どんなに素晴らしいコンテンツも、動作がカクカクしては感動が失われてしまうし、そのような環境だと、作ろうとする熱意までも冷めてしまう。この際、思い切って最新環境にアップデートしようと一念発起し、PC購入に向けて調査を始めた。 当初は市販品で探した。仕事とプライベート共に、ALIENWAREのノートPCを利用している関係で、デスクトップもALIENWAREで
noteを始めてから、一年の振り返りを書くようにしているので、今年も2021年の活動をまとめてみたい。 自分の場合、内と外という考え方を重視していて「内を変えたければ外を変える、外を変えたければ内を変える」よう心がけています。 昨年はひたすら外向きに活動したので、今年は内から変えようと決意し、対外的な活動よりも自分自身の生活や、会社内での活動にウェートを割いた一年でした。 生活を変える昨年からリモートワークによって引きこもり生活が続いていたので、運動不足によりコロナ太り