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狭い世界で満足することで満たされる、それが許されない時代へ
世界は広い。
その広さは果てしない。
だれもがその広さを知ると、自分の小ささをとても強く感じる。
生きている間にすべてを知ることはない。
ある分野を極めようとしてその世界を全てを知ったつもりであっても、それはあくまでも一部に過ぎない。
そもそも全てを知ることは、不可能なのだから。
全てを知っているということほど、嘘であることは無いように感じる。
そして、知らないことに対して不満がたまってくることで、ストレスを感じることもあるかもしれない。
知らないことで不利になることもあるかもしれない。
であれば、知っていることももちろん重要。
とはいえ、知りすぎると不幸になるということも忘れてはいけない。
知りすぎること、それは必ずしも良いことばかりとは限らない。
知ることによって、不都合なことが見えてしまうこともあるかもしれない。
それによって怒りを燃やしたり、悲しみを感じたり。
その情報に触れなければ、何も知らない幸せのままということも沢山あるに違いない。
何も問題なかったところに、大きな問題が発生する。
平和であったところに、急に争いが生じる。
それは、知りすぎてしまうことによって引き起こされるということ、それも知っておいた方がいいかもしれない。
知ること、それはものすごい責任が伴う事。
一度知ってしまったら、簡単に忘れることは出来ない。
知らないほうが良かったことというものも、沢山あるかもしれない。
それは嘘であることをしってしまうことかもしれない。
それは不都合なものが覆い隠されていることかもしれない。
むやみやたらに暴露を行うことで、不幸が振り撒かれることも良くある事。
真実を知ることで、争いが発生することも良くある事。
真実を知る代償というものについて、もっと考えておくべきということもある。
狭い世界で折角ストレスなく満足していたところから、広いものを知りストレスにさいなまれるという事。
それは本当に幸せといっていいのだろうか。
物事を多面的に知るために、越境することはとても大切なこと。
それによって、見えていなかった基準が見えるようになる。
その結果、比較を行うことで不幸であることに気が付いてしまう。
恵まれていないことを知ってしまうことは、不幸の始まり。
それがきっかけとなって、大きな問題になっていく。
そうならないように、情報統制がなされているということももしかしたらあるのかもしれない。
とはいえ、今はどんどん不都合なことが流れてくる時代。
情報統制はもはや効果をあまり持っていない。
不都合な真実に直面するということ、その覚悟が問われている時代。
狭い世界で満足することで、満たされるということも終わってしまった。
狭い世界に留まることは、もはや許されない。
強制的に知らされるということが、誰にでもやってくる時代。
それこそが、荒れ狂う時代というものなのだろうか。
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ありがとうございました。