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捨てられる食事 まずは食べ切る分しか買わないことからはじめること

ビュッフェとして溢れんばかりの料理。

ホテルに並ぶご馳走の数々。

丁寧に作られた色とりどりの美味しそうな食材が並んでいる。

ふと気になると、よだれが止まらない。

恵まれた世界でお腹いっぱいに食べられることは、とても憧れでありとても幸せなこと。

とはいえ、その煌びやかな雰囲気で溢れる世界側もあれば、その影となる部分もある。

それは、数多くの残飯。



食料の廃棄はどのくらいなのだろうか。

少し調べてみると、食べられるのに捨てられてしまっているものは日本国内で年間600万トンらしい。

手をつけられることなく、まだ食べられるものであるにも関わらず、容赦なく捨てられている。

スーパーやコンビニ、レストランやホテルに限らず、街のパン屋さんやお惣菜屋さんですら、売り切れずに捨てられるものが溢れている。

個人的にショックだったのは、少し奮発してお昼に買った美味しそうなパンが、夜になって数多く生ごみの袋の中に見かけたこと。

勿体無いなと思ったとともに、役に立つことができずただ燃やされるためだけに存在した。

尊い命をいただくはずなのに、それが全く反映も感謝もされていない結果がこの状態。

臭い物に蓋をするという考え、都合が悪いものは見ることはない。

これこそが究極に便利にしたことによる代償であり、その部分を請け負っている人もいる。



どうすれば良いのか。

様々な解決方法が提案されたりしているが、本当の意味で機能しているものはどの程度なのか。

仕組みとして無駄となる食料をゼロにするには、そもそもマインド面で全く足りない様な状況でもある。

飢饉が当たり前の様に起きる世界になれば多少はマシになるかも知れないが、それを望んでいる個人はおそらくほぼいない。

ある意味インフレがすすんで若干食べ物について考える人もいるのは、良い傾向かも知れない。

しかしながら、特定の場所においては当たり前の様に作られた料理が触れられることなく捨てられていくことも当たり前の様に存在している。

もちろん、賄いの一部にしたり、家畜の餌にしたりなどの方法でうまく使えていることもわずかだがあるかもしれない。

とはいえ、完全にそれで対応しきれている状態とは言えない気がする。

それであるなら、やはり食料のことをファーストと考えて、戦時の様に食事が足りない状態というものを一度は経験してもいいのかも知れない。




個人でできることは、何か。

まずは食べ切れる分だけを買うこと。

若干足りないかもしれないと感じる量以上には食べものを買わない。

そして、外食であるのならば、しっかりと食べ切る量のみとする。

もしくは、量をコントロール不可能ならばそもそもその様な注文をしないか、外食そのものを避ける。

個人の少ししかない力でできることは少ないが、まずはわずかでもできるか否かで大きく未来は変わって来るにちがいない。




ありがとうございました。

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