「つまり?」⇔「例えば?」を繰り返すことで深めていく
物事をより深い理解するには、考え方が重要になってくる。
そして考えているか否かは、少し深い質問をした時のその人の回答次第で全く違う。
それをする事ができるか否かで、考えや知識の深さについての化けの皮が剥がれる。
そして、誰もが答えられない事が恥ずかしいとそうなる事がないように、日々研鑽をしていたりする。
そのために大切なのは、考えを昨日の自分以上にアップデートして深めて行く事。
とはいえ、そのための方法がわかる人とわからない人の間では、大きな差が開いて行く。
その差をなくす事、特に自分自身を深くしたい場合に大切にしたい言葉がある。
それは「つまり?」と「たとえば?」。
「つまり?」は、抽象化するための言葉。
それは物事について共通性を見出すこと。
その結果として、特徴や同じ要素を抜き出すことが出来る。
そして本当に大切な要素が何なのか理解する事ができるようになる。
一方で、「たとえば?」は具体化を進める言葉。
抽象化されたものを一度具体的な例をだしてみるだけで、一気にわかりやすくなる。
これは目に見えないものを見えるようにする作業、認識できるようにするものでもある。
そして、次の段階に進みやすくなる。
これが出来るだけで、そして継続するだけで、大きな差が開いてくる。
そしてそれはやがて誰にも埋められない差になっていく。
「つまり?」「たとえば?」を繰り返すことはとても大切なこと。
それが出来れば、自分の中だけで議論をある程度しっかりと進める事ができる。
もちろん、他の人に頼りながら進めるのも効果的。
いまならば生成AIを組み合わせることで、人相手でなくともある程度議論は深めて行く事が可能。
その結果として議論がどこまで進んでいくかということは、もはや誰にも止められない。
タブーとして議論されない事、無視されて議論が進まない事ですら、より深める事ができるかも知れない。
その結果として不都合な事実が見えるのならば、それがタブーとしている理由として納得いくこともあるかもしれない。
これはある意味不都合なことでもあるかも知れない。
いずれにせよ、「つまり?」と「たとえば?」を繰り返すことは、ものすごい価値になる。
当たり前のようにそのことを頭の中で繰り返す事が出来ているかどうか、それこそが頭の回転の速さ、頭の良さと言われるものになるに違いない。
ありがとうございました。