全てはあなたに必要な出来事だった
今この場所にたどり着いた、それはどのくらいの確率で起きているのか。
大きな選択を何度も迫られて、選び続けた結果が今この瞬間。
小さなように見える細かい選択ひとつひとつが、いまのあなたを構成している。
最高の出来事も、最悪の出来事も、あなたにとっては絶対的に必要であった出来事。
全く関係ないように思える出来事すらも、深い記憶の断片で何らかの影響を及ぼしている。
そしてわずかでも違う選択をしていたら、ここにいることはできない。
とても不思議なように思えるが、それは当たり前のこと。
たまたまこの記事を見ているということも、それは今までの経験の積み重ねの結果の一つであるという事。
記事を通して出会うことが出来ること一つをとっても、それは奇跡といっても差し支えない。
調べてみると、人間は一日の間に35000回以上決断と判断を行って生きていると言われている。
となると、それだけでも選択肢の数は2の35000乗になる。
そしてこれはあくまでも2択の選択となるものの、実際は3択以上の選択肢も沢山ある。
とするならば、選択肢はさらにその何倍にも膨れ上がっていく。
わずか一日だけであっても、選択肢が数えきれないだけある。
さらにそれが1か月、1年、数十年と行くにしたがって、その選択を選ぶことの確率は、限りなく0に近づいていく。
そしてその選択は現在生きている命の数、過去に生きていた命の数、そして未来に生きる命の数だけ存在している。
誰かがわずか1回、その一瞬だけでも何か選択が違った場合は、今の宇宙にはなっていない別の宇宙になっている。
まさに今ここにいるという事は、その奇跡の積み重ねの中、偶然たどり着いた場所と考えても差し支えない。
今日のあなたは、今ここにいるあなたは、その時間の集大成の結果を表している。
全ての出来事が必要な出来事であった。
その一部でも出来事が異なっていたら、今のあなたとは別のあなたになっている。
そしてその選択と経験の果てであなたが作品として完成するのは、この世から消える瞬間。
ある意味、死の瞬間もしくは直前こそが究極の完成形になるといえるかもしれない。
つまりその過程の途中の現段階は、まだまだ人生は未完成作品。
もちろん未完成ではあっても、今のその状態は完璧であり欠けているものは一切ない。
完璧と完成はまた別のもの。
完成する形はまだまだ先かもしれないし、あと少しで完成するところにたどり着いているかもしれない。
そして、どのような完成形になっているのかは全く見当がつかない。
それは誰にもわからないし、わからないほうがより良いことかもしれない。
だからこそ、これからしばらく続いていく未完成を少しでも楽しみながら、完成に向けて積み上げていくことこそが、とてもかけがえのない経験になるに違いない。
今日も一日、まだ見ぬ完成に向けて、一歩ずつ前進するのみ。
ありがとうございました。