見出し画像

「他者の高評価こそ自分軸」という考えを手放す

他の人にどう評価されるか。

他人からどうみられるか。

上司からどう評価されるか。

友達からどう思われるか。

そんな事を気にしている限りは、自分の人生を歩むことはない。

誰かの軸に支配されているということ、それは無意識のうちに当たり前になっている。

ある意味これは仕方がないことかもしれない。

とはいえ、それに永遠に縛られている限りは本当の人生を歩む事がない。

本当にそのままでいいのだろうか。





自分軸の中に他者を介入させないこと。

自分だけが満足すれば、それで良い。

他人の評価はどんどん移ろいゆくもの。

その評価に左右された行動は、軸がない状態と言っても言い過ぎではない。

ただひたすらトレンドのみを追うことほど悲しいことはない。

それが本当の幸せになるかどうかについては、正直なところ不明である。

だからこそ、一度他者軸というものを手放してみるのもいいかもしれない。

自分が興味を持ったことだけに純粋に集中する。

他人の評価に一切従わないことこそが、幸せになるための鍵になる。

わがままだと言われるくらいでちょうど良い。

みんなに無視されるくらいで、やっと自分が見えてきたところ。

他人から非難されることでも自分が評価すること、あべこべであっても問題ない。

その方が望ましいことも世の中には多くある。

もっと嫌われて、無視されて、攻撃されるくらいでもいいかもしれない。

それでもやめられない自分の軸こそが、本当の自分がやりたいことに他ならないのなら、それは幸いである。



人によっては恐れるだろう。

人に役に立たないことは何も価値を持たないという事。

それでは生きている価値がないという事。

それはある意味思い込みの世界なのかもしれない。

たしかに、多くの人に支えられて人生というものは存在している。

スーパーで食べ物を買う事ひとつにしても、多くの人がそれを支えているからこそ成立する。

だからこそ、より深く感じることもあるかもしれない。

とはいえ、実際にはその人が存在することだけで救われている人がいるというのも事実。

何も役に立てていない人などいない。

役に立とうと思わなくても、全ての人は誰かの役に立っている。

それを認識できるかどうかという事が、幸せか否かの分かれ道になっているように感じる。




他者の評価を手放そう。

それが役に立つことはほんの一部に過ぎない。

多くは自己評価次第で大きく変わってくる。

自己評価だけに忠実でいることが、まずは大前提。

その上で他の人に役に立てるで何も問題ない。

どれだけやらかしたとしても、最終的に自分の糧になっていればよい。

それが結果として人類全体に良い影響を及ぼすことになるのだから。




ありがとうございました。

いいなと思ったら応援しよう!