AIの急速進化と「直感」の重要性について
AIの進歩が凄まじい。
GPT4oの情報が出てから、界隈がさらに盛り上がっている。
GPT-4の時以上の盛り上がりである雰囲気を考えると、今後バージョンアップするごとにますます盛り上がりは激しく続いていくように感じる。
SFだと思っていた世界が、あっという間に現実にやってくる。
AI技術の想像以上の進化について、誰がここまで想定できただろうか。
これほどまで一瞬でどこまでも進化するとなると、今後AIを使いこなす人と使わない人との差は、天と地以上の差になるかもしれない。
おそらく規制があってもなくても、web上には当たり前のようにAIに創造されたものが溢れる世界になるに違いない。
その中には本物もニセモノも、数多く集まる。
特に写真・動画については、音声含めてどこまでも本物に違いニセモノがあふれる。
AIによって作られた人が話している動画についても、どこまでも精巧になっていく。
いずれそのニセモノがホンモノを駆逐する勢いで増殖するにちがいない。
どこまでも新しいニセモノが増えていく時代において、とても大切な能力がひとつある。
それはAIの違和感に「直感的」に気が付く力。
AIによる創作物において、現段階ではまだまだわずかな違和感については簡単に感じることが出来る。
ただ、この違和感をいかにかき消すかということについても技術はどこまでも進んでいくに違いない。
もちろん精巧に出来たAI技術を見抜くというAIも、どこまでも技術が進んでいくに違いない。
もしそのような技術があったとしても、それを超えるようなより高度で緻密な作品を産み出すAIが現れていくにちがいない。
そのような技術が発展する中で、動画のわずかな乱れや、音の違和感、イントネーションの違いや、言葉の話し方の癖など含めて、ほんのわずかな違いに気が付くことが出来るかどうか。
本当に言葉に出来ないような、ほんのわずかな違和感というもの、それはどうすれば見破れるのか。
もしかしたらそれこそが人間が本来持っている「直感」を研ぎ澄ましたものなのかもしれないと感じている。
現代の多くの人類が生きている環境、特に都会などではどこまでも感性を鈍らされ続けているのが当たり前。
五感の様々な要素が、どこまでもマヒさせられてきている。
視力についても小さい画面や近くを見ることで当たり前のように衰えてきている。
聴覚についても人工物による音やイヤホンによる影響により、衰えてきている。
嗅覚についても大気の中に含まれる不純物が増えることによって、昔の人と比べると鈍感になってきているに違いない。
味覚についても濃い味などを当たり前に食べていたりすることで、わずかな違いはもはやわからない。
触覚についても細かい違いを感じなくなる事で、物事の違いが分からなくなってきている。
さらに言葉にできない「第6感:直感」を感じるような感覚においても、その能力が発揮されていないことが多いように感じる。
その結果としてあらゆるものが本物とニセモノの区別がつかなくなり、結果としてニセモノが当たり前のようにはびこることを許しているように感じる。
だからこそ、野生の動物のように鋭い感覚持つこと、ほんのわずかな違和感を感じること、それをいかに磨くことが出来るかどうかによって、真贋判定が出来るか否かが変わってくるように感じる。
そしてその感性を極めた人はAIによって作られたものについても正確に真贋判定が出来、もしかしたらそのようなような人こそが本物の価値として評価されるようになるかもしれない。
AI技術についても、10000年後の未来から見たらおそらくまだまだ黎明期に過ぎない。
そもそも10000年後にAIという状態として存在しているのかさえ疑問である。
とはいえ、AIそのものは今の段階で既にものすごい発展をみせているように感じる。
その分だけ未来に対して、よい方向にも悪い方向にも、どちらに向かう事も可能なポテンシャルが十分にある気がする。
そのような中で、いかに人間が本来持っているスキルである「直感力」を高めることが出来るか。
そしてその直感こそが大切であることに気が付くことが出来るかどうか。
AIが当たり前に存在する世の中になり、その中で直感のものすごい力に気が付くことが出来るようになって初めて、色々な意味で人類が次のステージに進むのかもしれない。
ありがとうございました。