知識を選択すること
知識はとても大切なもの。
学校の勉強も、知識が目的になることが多い。
受験だけが目的でなく、その先にある世界を知って、世界が拡大していくという意味では、カリキュラムは面白いもので溢れている。
知識を身に付けることによって世界が広がる。
文字通り認識の範囲が広がり、目の前だけでなく想像力が拡大し、世界という広い世界に対して興味を持てるようになる。
時には身を守ることにもつながる。
知っていれば避けられる出来事というものも世の中には溢れている。
そして世界がより見えるようになり、楽しさが増す。
生きている価値や楽しみというものは、知識に根差しているものがかなり多い。
さらに知識があることによってそれを組み合わせて智恵とし、さらに発展させることもできる。
それらが結晶化して人類の英知となり、ますます社会や文明が発達していく。
このように様々な面から見ても、知識を得ることはとても素晴らしいことが溢れているように感じる。
一方で知識によってネガティブなことも存在している。
知ることによって見たくもなかった現実を知り、直面することもあるかもしれない。
不都合な事実というものが理解できるようになることは、知らないほうがよかったことになるかもしれない。
知ってしまったがゆえに後悔することがあるかもしれない。
自分の主張していたことが、実はどこかのタイミングで破綻する運命であることを悟ることもその一つかもしれない。
知識によって逆に視野が狭くなってしまうこともある。
常識という名の先に入っている知識が邪魔をして、簡単に理解できないようになってしまうこともある。
このようなネガティブ面も含めてこそ、知識ということが言える。
知識の良い面だけでなく、不都合な面も知ることは大切。
ただむやみやたらに拡大する行為は、それによって得られるものもあれば失うものもある。
もちろんそれはただの効果性に過ぎないため、良い・悪いは一概に言うことは出来ない。
事実として知識を得るということは、それ相応の何かが見えるようになったり見えなくなったりするということ。
自分の中に本当に必要な物、自分が見たい世界に必要な物に対してしっかりと取捨選択出来ていることは、とても重要なこと。
時には手放すべき知識もあるかもしれない。
断捨離するべきものもあるかもしれない。
幸いに、人間には「忘れる」という才能がある。
これによって知識の最適化が常に行われているように感じる。
忘れるということも、とても必要な要素であるように感じる。
これからの時代は、持つ知識によって世界の見え方が全く異なる。
もちろん持っているその知識を使うか使わないかはあなたの自由。
その結果どのようなことが自分の身に降りかかることがあっても、それは全て自分の選択の結果。
だからこそ、何を採用して何を不採用にするのかは、しっかりと選択していくべきであるように感じる。
自分が持つ知識、その中でどの知識を選択するかについて、今一度見直してみるのもいい時期かもしれません。
ありがとうございました。