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発言の場にて、誰も意見を言いたがらない、誰も発言しないという現象について

学校や会社、町内会や所属する団体で、色々な人が集まって会議や話し合いをすることがある。

その際に、発言を求められる時に常に積極的に意見を出す人はあまりいない傾向にあるような場面が感じる。

「なにかありますか?」ということに対して、無言の応答。

もちろん全て納得して合意出来ている状態であるのならば、発言しないのは特に問題はない。

しかし、すべてを100%理解して疑問点を持たないということは、よほどのことがない限り発生しない。

理解度が浅くて納得することもあるかもしれないが、それは前提とする知識が少ないことなどによるもの。

理解度に自信がない場合、そしてよくわからないときに質問をするということも、時と場合によってはやりにくい雰囲気がある。

そして会議体によっては多くの意見が出るかもしれないが、今まで参加した多くの会議や発表の場では、常に意見を言う人は限られている。

そしてその意見を言う人が主導権を握り、気が付いたら話がすすんでいる。

意見を言うほうが得な場合もあれば、発言しないことが

雄弁は銀、沈黙は金ともいう。

だからこそ黙っているというのが、美徳というのもあるかもしれない。









意見を言うことについて、自分自身も思い当たることがあり、発言しない場合のその時の心の中を思い浮かべてみる。

・自分が万が一当たってしまった場合に、何も発言出来る準備が出来ていない
・自分の知識レベルが低いと思われたくない
・発言で言ったことがリスクになるかもしれない
・全く理解できなかった
・言ったことがきっかけで、嫌な仕事を押し付けられるかもしれない
・発言したことで他の人の反感を買うかもしれない
・自分のアイデアを他の人にとられたくない
・興味がない
・自分にはあまり関係ない
・恥ずかしい
・目立ちたくない
・発言のリスク危険を冒したくない
・ネガティブな評価に響くかもしれない
・「なにもきいていなかった・・・」
・他の人のために発言の機会を譲っておこう
・自分の意見はたいしたことがない

多くの思いが渦巻いている中、たしかにこのような思いが少しでもあると発言しにくい気持ちが湧き出てくる。

発言しないほうが安全であり、その場に沈黙でとどまりたいということがよくわかる。

でも折角多くのアイデアや言いたいことが各個人に眠っているにもかかわらず、それが発揮されずに終わることは果たしてそれでいいのだろうか。

素晴らしい意見や主張を持っていても、その場で発揮できないのはもったいない。

発信者からインプットしたことを自分のフィルターを通してその場に提供する、それは聞いている多くの人や、質問を投げかけられる人にとってもありがたいこと。

時にはお互いに発言をけん制し合っている場面もあるかもしれないが、お互いにフラットな気持ちで色々な意見を聞けるようになると先に進むことが出来るようになる。

その先に進んだ結果として、何かがもたらされる可能性も十分に秘められている。










大したことがない意見などない。

どんな意見でも、色々な面からの切り口ということで参考になる。

そしてそれに触発されて出てくることもあるかもしれない。

怖がらずに積極的に発言することで、多くの場を活性化させていきたいもの。

発言することによって、ものごとを膠着状態から少しでも前に進めることが出来るのはとてもすごいこと。

勇気を伴った発信者の意見はその話し合いや会議を進めるという点で、大きな貢献をしているのは間違いない。

そして空気を読まずに意見を発して場の空気を突破すること、それこそが現状の色々な問題や膠着状態を打破できるものと信じている。

だからこそ、色々な人に積極的に会議や話し合いの場で、自分の思いを発信してほしい。










ありがとうございました。

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