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分断現象:「非接種者おことわり」から、「接種者おことわり」への変化に思うこと

コロナ騒動が始まってから、4年以上が経過した。

その間に色々と物事の価値観が変化したり、激動の中を歩み続けている。

その中で、旅行を自粛することから旅行支援金への変化があったりした。

今ではインバウンドによって旅行業界が人手が足りず、ものすごい賑わいをみせている。

マスクをしないことによって、飛行機を降ろされること事件があったりした。

それに対して暴力をふるった、暴力は無かったなど、色々な憶測が流れている。

今ではもはやマスクをして飛行機に乗っていても、何も問題ないようになっている。

あれはいったいなんだったのだろうか。

そのような多くの変化で、なかなか気になるものが表れている。

それはmRNAワクチン接種についてのこと。




コロナワクチンを多くの人は複数回接種している。

初めは2回で完全完了で、効果が永続されるとされてきた。

その効果は、自分もかかることなく、人にもうつしてしまうことがないということ。

ワクチン接種という人への思いやりこそが、今の時代に必要ということが強調されてきた。

それが気が付いたら3回目が必要になり、効果も重症化予防に変化した。

さらに4.5.6回と必要となる回数も増え、多い人では7回接種という人もいる。

接種することによって、大きな変化があった人も多くいるに違いない。

その変化に対してデモ活動があったり、一方でそのようなデマに騙されるなという情報があったり。

論文をベースに語るとしても、どちらも真逆の主張が当たり前になされている状態であることは間違いない。

それぞれが真実と思うことを、根拠を補強する情報のみを取り扱っているのだから。


さらに進化したワクチンが10月より、使用されるようになる。

他国に先駆けて日本がという解釈の人もいれば、他国で使われないものが日本のみで使われるという解釈の人も。

このことに対して大きな懸念を表明する人もいれば、逆にそれを邪魔する人を訴えるという人もいる。

その中で生まれてきた「非接種者おことわり」から「接種者おことわり」への一部界隈におけるトレンド転換。

そのことに対して「明らかな差別だ」と猛烈に反発する人もいれば、「必要な措置でとても妥当な判断だ」と考える人もいる。

以前までは非接種者は情弱であり、低学歴であり、IQが低い人たちで、周囲に致死性ウイルスをばらまく害虫的な扱いとされてきたこともある。

「非接種者」は周囲に思いやりや配慮が出来ない、最低の人間だというセリフが溢れていた。

実際のところは、様々な背景から接種しない選択をするなどとした色々な人がいると思う。

しかしながら、現在は一部とはいえそれが逆側に思いっきり振り子が触れようとしている。

これが行き過ぎると「接種者こそが排除されるべき」と考えるような、極端な考え方も生まれかねない。

分断も極まって、いよいよ複雑になってきそう。




分離・分断現象に対して、私自身は特に意見を持たない。

ただ人によってはそれを求めているのだなという、現象として捉えている。

だからこそ、客観的な所ではどうするのがいいのかを思う事もある。


衝突を避けるために一番いいのは、お互いに認識・干渉をしないこと。

うちはうち、よそはよそ。

ベストなのは離れて過ごすこと。

シェディング現象を実際に受けるのならば、そのような場所や人から物理的に離れる・近寄らないということ。

それは嫌な人と一緒に暮らすくらいなら、家を出ていくということ。

近寄ってくるのならば、離れるもしくは拒否するということ。

それは戦争が嫌いであるのなら、戦争が行われている国から逃げるということ。

どうしようもなく同じ空間に存在せざるを得ないとするなら、同じ空間でも出来るだけ離れる、そしてお互いを認識しないこと。

別の世界に生きるということが一番必要なこと。

いくら多様性の世界を目指すとはいっても、すべての人と同じ考えが是というわけではない。

違う考え方同士は、しっかりと分かれて過ごす。

そしてお互いに一切干渉しない。

そのための、超えてはいけないボーダーが必要。

それは目に見えるもの、目に見えないもの、いずれも機能させる必要がある。

分断がおかしいというのではなく、まぜこぜ状態がおかしくなっているような気がする。

だからこそ、しっかりと綺麗に分離する方が大切。




今が生きにくいのは、ただすべてが混ぜ混ぜごちゃごちゃになっているだけ。

それは、エントロピー(乱雑性の指標)が高いということに過ぎない。

純物質に分離を進めるにはエネルギーが必要になるが、それを進めることが出来れば、ある程度は現在のような混乱状態はましになってくるかもしれない。

人間の思考も物理現象も同じ。

高くなりすぎたエントロピーを下げるため、分離・分断が叫ばれるということ。

それは行き過ぎたものを是正するということ。

世の中が丁度良いという感じに戻るためには、避けて通れない道。

それはいばらの道であることは間違いないが、その段階を経験して過ごし切ることが出来たのならば、経験値として一段と上の次元に進むことが出来るに違いない。




ありがとうございました。

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