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浄化 : それは許すこと、忘れること、手放すこと

生きていると、様々なことがこびりついてくる。

その人にとって良いことから悪いことから、様々なことがひっついてくる。

目に見える物や人間関係、肩書や立場などが人をがんじがらめにする。

過去の経験やちょっとした嫌なことであっても、その効果は計り知れない。

生きている時間が長ければ長いほど、そのこびりつきもより強くなり、それは取れにくくなる。

そして、心も体もカチカチになり、あっという間に取り返しがつかない状態に。

さらにそれが歴史的なものとして積み重なっていると、さらにやっかいなことに。

先代の恥や恨みを、末代まで祟るということ。

本人は関係なくても、気がついたらそのことに縛られて生きていかざるを得なくなることほど悲しい事はない。

本当にそのことをやりたかったのだろうか。



多くの人が浄化を求めている。

がんじがらめになったものを、なんとかしようとしてもがいている。

動こうとすればするほど、縛り付けられた楔のためにますます心も体も痛くなる。

その結果、動かないことこそが最善解として甘んじて受け入れて、それで終わってしまう。

そうならないようにするための浄化、より抱えている荷物から解放されるための浄化、そのニーズがとても高まっている。

これを満たすためにはどうすればいいのか。

3つほど考えられるものがある。



ひとつ、それは許すということ。

何かあったことに対して、相手を許せるか許せないか次第で、その人の人生の重みは大きく変わる。

許さない事は永遠に心の中で重みを引き受けるということ。

ずっと心のスペースを嫌なことが占めている状態。

それを健全と言えるとは正直には思えない。

確かに人によっては、それを果たしてこその人生というのもあるかもしれない。

とはいえ、同じだけのものを本当に相手は持っているのだろうか。

そうでなければ、ある意味それは空回りであり、意味がないことになるかもしれない。

そして、もし相手に復讐出来たとしても、そこで終わりになる事は決してない。

さらに恨みが累積されて、未来において爆発するだけ。

それでいいのだろうか。




ひとつ、それは忘れるということ。

忘れることで、その人から過去が消滅する。

その結果、そのことにこだわらなくなる。

忘れようと思って忘れるのではなく、自然に消えていくという状態。

人によっては忘れる事は悪に映るかもしれない。

しかしながら、実際は忘れるという事は救いであるというのも忘れてはいけない。

忘れることによって流されて、抱えているものが消滅するのも大切なこと。

それにより人生と時間を取り戻せるのならば、忘れるという事はとても素晴らしいこと。

忘れられることこそが、幸せのみなもとなのかもしれない。




ひとつ、それは手放すこと。

手放せない物事が執着を生み出す。

その結果として、ますます行動ができなくなっていく。

本来は誰もが自由であるはずなのに、手放せない思考に縛りれてないと出来ない。

逆に手放して軽くなると、より幸せの方向に向かうことが可能かもしれない。

手放すことを悪いことと捉えること、執着が優っていると、そこから前進する事は難しい。

だからこそ、前進したいのならばさっさと手放して仕舞えばいい。

周りは手放すなというかもしれないが、手放したってどうって事ない。

手放した方が救われることも多くあるのだから。



多くの人が心と体の浄化を求めている。

それならば、許して、忘れて、手放すのが手っ取り早い。

しかし、それがなかなか出来ないのが人間。

それをするのが負けであり、受け入れ難いという前提が邪魔をする。

そして結局抱えている人は永遠に抱え続ける。

進まないとわかっていても、手放すことができない。

もちろんそれに良い悪いはない。

とはいえ、人生の自由度に大きく左右する。

このことを知った上でも、本当に手放すことなく永遠に許さず、忘れず、手放さずなのか。

まだまだほんものの浄化が先に進むのには、まあまあ時間がかかりそうだ。

もちろん、それすらも良いも悪いもない。



ありがとうございました。

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