「形式」と「実質」の交錯:議論がかみ合わない本当の理由について
世界中で毎日、様々な議論が生まれている。
その中には議論が発展する会話もあれば、永遠に平行線のまま終わるものもある。
これはトピックによって、人からの見え方が全く異なることが原因だ。
そもそも、前提としているものが違えば、見えている世界そのものが別物であるのは至極当然である。
一方で、前提が同じであるはずなのに、同じものを見ているはずなのに会話がかみ合わないこともある。
それは一体なぜなのか。
原因の一つとして考えられるのは、会話の中身が「形式上」と「実質上」がまぜこぜになっていることだ。
●形式上と実質上の違い
形式上とは、常識や法律、あるいは形として整ったルールのことを指す。
話し手が形式上の範囲で語るとき、議論は深いところまで進まず、いわゆる“表面上”の話題に留まることが多い。
そのため、実際の状況とは乖離していることもあり、形式的に見えていることだけが語られる場合がある。
一方で、実質上とは、実際の中身や本質的な問題、目に見えない現実に重きを置く考え方。
実質上の議論では、第三者には簡単に認識できない深い問題や真実を掘り下げていくことが求められる。
このように、形式上と実質上の視点が混ざった状態で会話が進むと、見えている深さが異なる。
そのためそもそも語っている内容そのものが異なり、かみ合わない議論になってしまうことがある。
●議論がかみ合わない背景
形式と実質が混在することで、次のような状況が生じる:
本当に語るべき実質部分が無視され、表面的な話題に終始してしまう。
実質部分が見えていないことで、会話にいら立つ人が出てくる。
表面的な会話を望む人にとって、実質の内容が持ち込まれると複雑になり、不満が生じる。
さらに、形式上と実質上の混同は、次のような現実を引き起こすこともある:
形式上は平等であっても、実質上は差別が蔓延している。
形式上は情報が開かれていても、実質上は情報格差が当たり前になっている。
形式上は自由な発言が許されているが、実質上は発言によって制裁を受けることがある。
これらの事例は、表面と実質の間にある溝を象徴している。
●議論を進める上での課題
形式上で議論を終わらせるのは、一時的には有効かもしれない。
しかし、実質的な問題が放置されれば、いずれそれがパンドラの箱となり、取り返しのつかない事態を引き起こす可能性がある。
議論が表面と実質でかみ合わない状態は、まだ幸運な方だと言える。
というのも、形式上で留めておく限り、何も大きな問題は起きないからだ。
しかし、互いが実質の領域に踏み込むと、ややこしい問題が噴出することもある。
その結果、歪みが蓄積し、解決には膨大なコストがかかる事態に発展することもある。
さらに、実質を語る中で泥をかぶる役割を担う覚悟が必要だ。
それができるかどうかが、議論の未来を左右する重要なポイントになる。
●今後の議論のあり方
実質を無視し続けることは不健全であり、形式上と実質上のバランスを取りながら慎重に議論を進める必要がある。
特に、実質的な正論が暴発した際、それをいかにコントロールするかが問われる時代になっている。
形式と実質が交錯する中で、どのように議論を整理し、解決へと導くか。それが、これからの議論の手腕として求められるだろう。
ありがとうございました。
(そしてAIのすばらしさに感動しました!)