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他人の発言を自分自身の根拠にするリスク
何に従うかは自分で決められると思っている。
自分の行動に制限はなく、どこまでも思いのままに動けている。
好きな時に好きな場所に行けて、好きなだけ好きなことが出来ている。
ただ、それはあくまでも自分自身の思考の範囲だけであることがほとんど。
その思考は何によって作られたのかというのは、忘れてしまっている。
もしくは、その部分について気にするようなことはあまりないのかもしれない。
自分の思考が誰によって、何によって構成されているのか。
その部分を今一度問い直してみるのも、面白いかもしれない。
思考部分のベースは、主に周囲の環境にある。
小さい頃は親や学校、友達であったり。
そして成長するにつれてその対象が変化し、自分自身が信じる何か別のものになるかもしれない。
会社に所属するならばその会社が持っている常識をベースに、ある地域に所属するならば、その地域のルールがベースに。
それぞれの人が所属するコミュニティーが、思考の源泉になることが多いかもしれない。
ただ誰にでも当てはまって影響受けるもの、中でもとても大きいのは、いわゆる「権威」と呼ばれるもの。
マスコミやメディアのコメンテーター、連続起業家や有名な俳優やアイドル、権威のある賞をもらった偉い人や政治家。
もしくはフォローしている数の多い動画コンテンツyoutuberや、Xやインスタ・Tiktokの人など。
その人の発言によって、大きく自分自身の選択が変化することがあるかもしれない。
それこそ「○○が言っているから間違いない」というもの。
その言葉に従って無思考による選択をすること、それはもしかしたらその人にとっての正解を選ぶ可能性はとても高いかもしれない。
もちろんそれに従う事そのものが良いわけでも悪いわけでもない。
ただ黙って盲目的に従う事は、完全に思考放棄のように感じる。
他人の発言を自分の行動根拠としてしまう、これほど脆い思考の根拠はない。
というのも誰かの発言に流されて行動したこと、それについては影響するきっかけとなった発言者は責任を一切持たないから。
あくまでも自分がどのような行動したのかについては、すべての責任はその人自身に跳ね返ってくる。
時間が経過して気が付いて、あの時に何かを言っていたからそれに倣ったのに、それが嘘や間違いだとは思わなかったという発言は、自分自身のコントロール権を失っていたことに対する責任を無視してしまっている。
大臣が言っていたから、有名なyoutuberが言っていたから、権威が言っていたからは、責任放棄に過ぎない。
思考の範囲が狭くなってしまっていたこと、考えていなかったこと、そのリスクを本当に当時認識出来ていたのかということが重要。
だからこそ、本当に権威のその発言に乗るかどうかは、しっかりと毎回吟味しなくてはならない。
常に疑うという姿勢、そして本当に自分自身が心から納得できるかという事、それは周囲からの無言の影響がどれほどあるのかを知っておくことが大切。
周囲の空気に合わせていると、所属集団によっては決断のリスクが多いだけになってしまうこともある。
もしくは選択しないことによる安心感に流されて、選択しないという選択のリスクを見えて見ぬふりをしているだけかもしれない。
本当に大切なのは、自分自身の中で言葉としてしっかりと納得できたうえでの行動かどうか。
色々な発言やニュースなどあらゆるものを吟味して、自分自身で最善の選択をすることが出来たかどうか。
それが出来たのならば、たとえ間違っていたとしても後悔は少ないはずだ。
自分の選択に責任を持ち続けて結果を受け入れること、それが本当の意味で生きているという事になるのだと思う。
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ありがとうございました。