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「批評家気取り」という現代病

今年もM-1グランプリの季節である。昨日のTwitterはその話題で持ち切りだった。トレンドは数時間、M-1関連の用語に支配された。


僕も見た。個人的には真空ジェシカの2本めが一番おもしろかった。「ピアノがデカすぎるアンジェラ・アキ」というフレーズ、あまりにもこちらの想像力を掻き立てすぎる。ひとりずつ観客の頭を鷲掴みにしていくアンジェラ・アキを想像して笑い転げてしまった。


さて、M-1グランプリは1年の中で最も「何者でもないのになぜか批評家を気取る素人」が大量発生するイベントである。「エセ批評家-1グランプリ」と言い換えてもいいかもしれない。「批評家気取り」を冬の風物詩に入れてもいいぐらいだ。歳時記の編集部の皆さん、よろしくお願いします。


現代病としての「批評家気取り」

「批評家気取り」は、ある種の現代病なのではないかと思われる。

というのも、この現象は、SNSがなければ存在しえなかった。Twitterを始めとする各種SNSで、短文の批評(らしきもの)を誰もが投稿できるようになったから、これほど多く見られるようになったのだ。

昔は、批評をしようと思ったらそれなりに大変だった。雑誌に投稿しようと思ったらそれなりの文量を書き、体裁を整えなければいけなかった。すなわち、自分の考えをまとめるための時間が必要だった。

一方、現代のTwitterはそうではない。条件反射でツイートすることができてしまう。「真空ジェシカの方が令和ロマンより面白かっただろ。審査員無能かよ」というように。

偶然そのツイートが共感を集めて、そこそこに拡散されたりなんかすることもある。そうなると、「おっ、オレ批評家としてイケるんちゃうか」などと錯覚し、ますますエラそうなことを言い始める。

これを無限に繰り返すと、「何者でもないのに常にエラそうに上から目線の言説を繰り返し、周囲から疎まれる人」が誕生する。「おもしれえ~」とだけ言ってればいいのに、なぜかエラそうなネガティブなことばかり言う人、ネットに100万人いますよね。

こういう困った人はインターネット発信界隈に大量発生していて、ブロガー界隈の飲み会でたくさん観測した。自分のブログは誰にも読まれてないのにそんなことは意に介さず、「タイトルの付け方がダメだね。もっと具体的な数字を入れるとか、訴求を強めた方がいいよ」とどこかで聞きかじったような一般論をアドバイスする人をよく見た。底辺ブロガーが底辺ブロガーにアドバイスする地獄、八大地獄の中に加えてほしいな、と思った。


さて、ひとつ問題になるのは、Twitterで投稿される「批評らしき短文」は批評たり得るのか、ということだ。


『批評理論を学ぶ人のために』を当たってみよう。

本書によれば、批評の定義はこうだ。

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