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「俺のスタンダール症候群」と、小説家デビューについて考えていること


良いコンテンツに触れるのは創作の肥やしになる。当たり前の話だ。

だから僕は四六時中なにかのコンテンツに触れている。本も読むしマンガも読むし映画も見る。音楽も聴くしラジオも聴くしYouTubeも見る。

一番創作のモチベーションになるのは、99点のコンテンツだ。「最高に面白い!僕もこういうの作りたい!」と思う一方、「僕ならこんな工夫をしようかな」などと考える余地がある。

逆に、モチベーションを奪い去られるのは100点のコンテンツだ。「これ以上どうしようもない到達点に達している」と感じると、「一生消費者でいよう」という気持ちになってしまう。秀逸すぎる創作物はクリエイターを殺す。


先週も、そんな気持ちになった。

柞刈湯葉『人間たちの話』を読んだから。


あまりにも最高なSF短編集だった。僕は割と軽率に「最高」という言葉を使ってしまうのだが、この短編集は本当に最高だ。少なくとも僕の中では。早くも2022年のベストが出た感がある。人生の好きな小説10冊にもランクインするだろう。

単に完成度が高いだけでなく、僕の好みに深く突き刺さっている。基本的にふざけているというか、遊び心がたっぷりなのだ。

たとえば、2本目の短編である『たのしい超監視社会』。

SFの金字塔である『一九八四年』のパロディである。『一九八四年』では、監視社会は非常に過酷で厳しいものだったけれど、『たのしい超監視社会』では、みんながポップで楽しく監視社会を生き抜いている。

『一九八四年』のエッセンスをフル活用しながら、たくましく監視社会を生き抜く「監視ネイティブ世代」の若者をコミカルに描き出している。

単なるパロディ小説としても楽しく読めるし、著者も本作を「冒涜的パスティーシュ」と表現している。ふざけたパロディなのだと自称している。

ジョージ・オーウェルの著作権切れをいいことに書かれた『一九八四年』(ハヤカワepi文庫)の冒瀆的パスティーシュ。

柞刈湯葉.人間たちの話(ハヤカワ文庫JA)(Kindleの位置No.2902-2903).早川書房.Kindle版.


しかし、これは多分に謙遜混じりであるように思われてならない。

本作は、よくあるパロディおもしろ小説とは一線を画する内容である。2つの点において。


第一に、本作には強烈な風刺がある。

ビッグ・ブラザーによる強力で中央集権的な監視の時代は終わりを告げたが、代わりに民衆による相互監視社会が誕生した。それが本作の舞台設定だ。

誰でもいつでも他人の生活を見ることができるし、そこに不適切な行動があれば密告して罰を与えることができる。

言うまでもなく、これはインターネットのメタファーである。

そして、若者はこの異様な相互監視社会を、それなりに楽しく生き抜いている。それどころか、「監視されている数」を競い合っている。


「貴様を任意で見る暇人がいるとはな」
「馬鹿にすんなよ。僕には一七人いるぞ」
「そうか。俺はたしか三一人だ」

柞刈湯葉.人間たちの話(ハヤカワ文庫JA)(Kindleの位置No.676-677).早川書房.Kindle版.


この状況、見たことある。「フォロワーが多いほうがなんとなく偉い」というアレだ。別にフォロワーなんて多くても得しないというか、何なら自分に監視の目が向いていて損しかしないはずなのだが、なぜかフォロワーが多い方が偉くて自慢できる風潮がある。

著者は、その風潮をドラスティックに風刺している。彼らはカメラを通して自分の生活が多くの人に監視(任意監視)されていることを、嘆くどころか誇らしく思っている。


もっとダイレクトな描写はここ。

でも任意監視が多ければ、放っておくだけで信用値が上がるから結果的に女にもモテるんだよ。十万点を超えると第一印象が急によくなるそうだ」

柞刈湯葉.人間たちの話(ハヤカワ文庫JA)(Kindleの位置No.681-682).早川書房.Kindle版.

「フォロワーが多いとなんとなく信用されるしなんとなくモテる」である。舞台設定は現代日本と全く違うのに、この現象は極めて写実的で笑ってしまう。


第二に、本作には明確なテーマがある。

『一九八四年』の明確なテーマは「絶望」である。人は監視社会の中で自由意志を剥ぎ取られ、人間らしい素直な喜びから隔離される。ジョージ・オーウェルは絶望の物語を描くことで、来るかもしれない社会への警鐘を鳴らした。

一方、『たのしい超監視社会』の明確なテーマは「希望」である。人間というのは結構たくましくてしたたかなので、監視社会が作られたとしても小器用に立ち回っていけるはずだという楽観的な予測を描いている。

たとえば、この描写。アダルトコンテンツに関する描写である。

イースタシアでは異性愛・同性愛を問わずあらゆる不健全コンテンツが禁止されている。禁止されているが堂々と流通しており、誰も通報しないので信用値にも影響しない。通報したことが知れれば、通報者の持つビデオコンテンツが彼・彼女の監視者によって通報され、あらゆる成人国民を巻き込む負の連鎖が始まることを誰もが知っている。超監視社会の平穏は、核抑止論に似た形式で保たれている。

柞刈湯葉.人間たちの話(ハヤカワ文庫JA)(Kindleの位置No.846-849).早川書房.Kindle版.

コミカルな文章なので笑いながら読んだけれど、よく考えると実に興味深い。

描かれているのは、「違法だが取り締まられないので事実上合法」という現象だ。こういう事例は現実社会にも枚挙にいとまがない。パチンコの3店方式による換金などはその代表だろう。

そう。この描写は、民衆のしたたかさを実に巧みに描き出している。いかに強力な監視システムを築き上げたとて、それを運用するのは人間にすぎないし、人間本性に合わないルールは形骸化し、抜け道が作られていくのだ。

『一九八四年』は絶望の物語だったが、『たのしい超監視社会』は希望の物語だ。民衆はそれほど愚昧で弱い存在ではなく、どんな状況でもしたたかに生き抜いていける、という示唆に富んでいる。


以上、ここまでの話をまとめよう。

『たのしい超監視社会』は単なるおもしろパロディ作品としても非常に面白い。しかし、それを越えた風刺テーマ性も持っている。一石三鳥の作品である。

そして、『一九八四年』もまさに風刺テーマ性の作品だった。冷戦の時代に突入したばかりの頃、オーウェルは来るかもしれない絶望の未来を描いた。

つまり、『たのしい超監視社会』は本家が志向した要素をも全く外さずにきっちり盛り込んでいるのだ。しかも、現代に合わせて換骨奪胎して、パロディ的な面白さもたっぷり詰め込んで。

これは「冒涜的パスティーシュ」どころか、「模範的二次創作」と言っていいだろう。ジョージ・オーウェルも草葉の陰から大喜びしていると思う。


俺のスタンダール症候群

とまあこんな調子で、たったひとつの短編だけで語りたいポイントは尽きない。他の短編も全部面白いので、この短編集の話だけで5時間は語れる。3次会までこの短編集の話だけでイケそう。

表題作『人間たちの話』は著者の溢れる生物学の知見と文学的センスがミックスされて極上の叙情性を醸し出しているし、かと思えば『宇宙ラーメン重油味』はやたらポップな物語に骨太な宇宙生物学を入れ込んできてひたすら楽しいし、とにかくスキのない短編集である。


単にSFとして素晴らしいだけでなく、僕の理想である「骨太な知見や高いクリエイティブ能力を無駄遣いして、ふざけたコンテンツを作る」を非常に高いレベルで実現しており、まさに100点のコンテンツだった。

これを読んでしまうとある種の虚脱状態というか、「もう何も作らなくていいな。世界は良いコンテンツに満ちているし、僕の貢献できる領域なんて存在しない」と異常にネガティブな気持ちになってしまう。


素晴らしい芸術作品を見たときに目眩や吐き気を催すことを「スタンダール症候群」と呼ぶらしい。

目眩や吐き気とはちょっと違うけれど、僕の現象も似たようなものだろう。あまりにも良すぎるクリエイティブに触れた結果、ネガティブな反応が起こるのだ。僕はこれを「俺のスタンダール症候群」と呼んでいる。

ちなみに、スタンダール症候群の原因は「上の方にある絵画を見上げ続けたことにより血栓ができて卒中が起きている」という夢のない説もある。かっこ悪いからやめて欲しい。素晴らしい芸術は人に目眩を与えるのだというロマンチックな話のままにして欲しい。世界には、科学で解き明かさない方がいいこともある。


さて、僕の脳に血栓はできていないけれど、俺のスタンダール症候群になってしまった以上、明日の創作に向かうために胸のつかえを取っておきたいところだ。いわば心理的血栓を取る作業が必要になる。

そこで、僕が柞刈湯葉先生の後に続く、すなわち、小説家としてデビューするなら何を書けばいいかということを考えたい。


……そうなのだ。サラッと書いたが、僕は割と小説家デビューについて考えている。中学生ぐらいの頃から小説家になりたいと漠然と思っていたし、長じてからもたまに書いている。

そして今、その夢は十分実現しうるところまで来ている。1冊目の本の売れ行きは幸いにして好調だし、文芸畑の編集者とも懇意にしており、「良い小説が書けたら送ってくれ」とも言われている。それなりの小説が書ける自信もあった。

だが、今回の『人間たちの話』を読んでから、書く気がしなくなった。僕がどんなに頑張って書いても、彼の劣化コピーになってしまう気がするから。

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