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バラエティ番組に出て感じる「テレビ的なもの」への虚しさ-あるいは、オチにたどり着けなかった悲しみ。
AbemaTVのバラエティ番組『見取り図エール』への出演オファーが来た。
この番組のディレクターが拙著『教養悪口本』を読んでくれたらしく、「インテリ悪口選手権という企画をやりたいのでインテリ悪口の審査委員長をやってください」というオファーである。インテリ悪口の審査委員長という文字列、見たことなさすぎて脳がバグった。
「良いですよ」と返事をすると、「とりあえず打ち合わせをお願いします」ということで、オンラインでディレクターと喋った。ディレクターはあまりテレビマンっぽくない柔和な人で、「現代に必要なのはこういうユーモアですよね!ぜひ広めるお手伝いをさせてください!」と、本音と社交辞令が3対7で混ざった挨拶をしてくれた。
当初、僕には「インテリ悪口の審査委員長」という役回りが与えられていたが、打ち合わせの中でディレクターが別の話を打診してきた。
「もしよかったらなんですけど、堀元さんもプレイヤーとして選手権に参加していただけないでしょうか…?やっぱり堀元さんもインテリ悪口を出してくれた方が企画として盛り上がるなと思いまして」
インテリ悪口にプレイヤーとかオブザーバーとかそんな概念があるとも思えないのだけれど、プレイヤーとしての参加を求められた。
ぶっちゃけ、それはめんどくさいから嫌である。僕は今、ビジネス書100冊企画の原稿を書くのにも忙しい。テレビで使えそうなインテリ悪口を改めてリストアップするのも面倒だし、アドリブでポンポン出すためには短期記憶として情報を頭に入れておく準備も必要になる。
一瞬、断ろうかなと思ったのだけれど、結局OKすることにした。
この番組が、見取り図さんの冠番組だったからだ。
僕は1年ほど前から、見取り図さんの大ファンである。
相席食堂に見取り図のお2人が出ている回で、腹がよじれるほど笑った。人生でいちばん笑ったバラエティ番組だ。あまりにも面白かったのでその内容を簡単にまとめたい。(以下、敬称略)
・見取り図のツッコミ・盛山は街を歩きながら美容院を見つける
・「ちょっと行ってみましょうか」と美容院に入る盛山。暗転してカットが入る。
・カット明け、当たり前のように「さあ行きましょう」と歩いているが、盛山の髪型がコーンロウになっている。
・相方のリリーはそのことに特に触れず、当たり前みたいに街を歩く。(ツッコミはスタジオの千鳥に任せるという英断である。素晴らしい)
・しばらくその状態で街を歩いた後、またカットが入る
・カット明け、相方のリリーもコーンロウになっている。
・しかし、そのことについても触れない。2人が触れないのはもちろん、出演している母校の先生も触れない。全員でコーンロウという大ボケを完全に放置する荒業である。
僕は「めちゃくちゃだな」と思いながら大笑いした。それ以来、見取り図の2人を見る度にコーンロウのボケを思い出してしまう。
ちなみに、コーンロウのボケはもう一段階先「伏線回収」があるのだが、それはここでは伏せておこう。Amazonプライムで見れるのでぜひ見てほしい。シーズン4のエピソード7である。
さて、そういう伝説の回で大笑いした記憶も手伝って、「まあ、見取り図の2人にイジってもらえるならプレイヤーとして出るのもいいな」と思った。「有識者枠」みたいなつまらないところに収まるよりは、ステージで見世物になる方が良かろう。
そんな魂胆で、収録当日を迎えた。先週の水曜日のことである。
外苑前の国道沿いにあるAbemaのスタジオは憎たらしいほどオシャレだった。エントランスは巨大な壁全面の窓ガラスが丸ごと自動ドアになっていて、「ゴゴゴゴ…」と動いていた。カッコいいけど電気代のムダだろ、と思った。
で、これが楽屋。
メイク用の鏡の前には、緑色のAbemaオリジナルキャラクターのペットボトルが置いてある。自意識がすごい。
そういうとこだぞ、と思った。サイバーエージェントといえばヨッピーさんにイジり殺されていた印象が強いが、そういうとこだぞ。
僕が〇イ〇ーエージェントを嫌いになった決定的瞬間の話 pic.twitter.com/aJ40pWBeWr
— ヨッピー (@yoppymodel) August 12, 2020
ちなみに、出演者用の座席に用意されている水も全部このペットボトルだった。バランスが悪いので普通のペットボトルにしてくれねえかな、と思った。
「テレビ的なもの」への適応
インターネット芸人をかれこれ6年やっていると、テレビに出てくれと言われることも何度か経験した。今回で多分7回目くらい。
経験が少ないなりに、何度か出演した/オンエアを見た経験から、「テレビ的なもの」が求められるのは分かっていた。背景情報が少なく、短く完結したフレーズで、単純明快なストーリーに乗っている発言だ。
したがって、書籍に書いたような話はほとんど使えない。本に書いたのは「文章で読んだときおもしろい」というボリュームがあるものであり、テレビ的にこのボリュームはむしろマイナスだ。
だから僕は今回の出演にあたり、バラエティ番組で使えそうな悪口の内容をある程度組み立ててからスタジオに向かった。(こんな商売をやっているとよく誤解されるが、僕は驚異的にマジメである。僕ほどマジメなインターネット芸人はそういない)
その努力は概ね、功を奏したと言っていいだろう。
編集されたものを見てみないと何とも言えないけれど、多分そこそこ面白いものになっているのではないだろうか。僕の役割は果たせたような気がする。まあまあ良い働きができたし、「テレビ的な面白さ」をある程度作れたと思う。楽しい体験だった。「できた!」という感動は何でも嬉しいものだ。仕事でも、ゲームでも。
だけど、一方で虚しさを感じる瞬間があったのも事実だ。「テレビ的なもの」に関して、改めて楽しさと虚しさの両方を実感する仕事になった。
今日はそんな話をしたい。テレビ的なものに対する愛憎を語ろう。
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