淮南子などと古代日本人の宇宙観
今回は(今回も?)多少マニアックな話題である。
一般に先史時代というと文字が残っていない時代のことをいう。日本では紀元前はおろか、古墳時代までは先史時代となる(本当にそうかは疑問。後述)。一方、中国ではご存知のように遅くとも紀前15世紀頃迄のことで文書の歴史は古い。
さて、今回は淮南子(えなんじ、説明は補足を参照)を主に漢籍に載っているものと日本古代の宇宙感(この場合の宇宙はSpaceよりCosmosが適当か?)の関連に付いて、その一部を述べたい。
1.宇宙は元から「時空」であった
物理学、特に宇宙物理学では時空という言葉を使うが、古来の中国(道教の世界か?)で宇宙は時空を指している。淮南子において前半から宇宙という用語が説明なしで出てくる。中盤で説明がされている。
●淮南子 第十一篇「斉俗訓」
「往古来今謂之宙、四方上下謂之宇」・・古(いにしえ)から今に至る無限の時間を「宙」といい、四方上下に広がる無限の空間を「宇」という。
後述のよう古代の日本の上層部は淮南子を読んでいたようなので宇宙をそう理解していた可能性がある。
2.日本神話=日本書紀の天地開闢の種本は?
日本書紀の天地開闢の下りは淮南子(及び太平御覧)を種本としているのはよく知られている。当時の藤原不比等を中心とする大和政権の中枢が中国の書を読んでいることに何ら不思議はない。尚、邪馬台国或いはヤマト政権を作った人々のルーツは中国から渡来した人達という説があるので、元から知っていた(共有されていた)のでは?というのは流石に考えすぎだろう。
何れにしても以下を見れば一目瞭然、完全なコピーで日本書記の編者が作ったところは全くない。
●淮南子
第二篇「淑真訓」
『天地未剖,陰陽未判,四時未分,萬物未生,汪然平靜,寂然清澄,莫見其形』
第三篇「天文訓」
『天墜未形、馮馮翼翼、洞洞濁濁、故曰太昭。道始生虚廓、虚廓生宇宙、宇宙生氣。氣有涯垠、清陽者薄靡而為天、重濁者凝滯而為地。清妙之合專易、重濁之凝竭難、故天先成而地後定』
△太平御覧(「三五歴紀に曰く」と書いてある)
『未有天地之時、混沌狀如雞子、溟滓始牙、濛鴻滋萌、歲在攝提、元氣肇始。又曰、清輕者上為天、濁重者下為地、沖和氣者為人。故天地含精、萬物化生』
○日本書紀(巻第一神代上)
『古天地未剖、陰陽不分、渾沌如鶏子、溟滓而含牙。及其清陽者、薄靡而爲天、重濁者、淹滯而爲地、精妙之合搏易、重濁之凝竭難。故天先成而地後定』
3.太陽の黒点と八咫鴉
古代の中国では太陽に烏が住んでいるという神話がある。烏そのものが太陽を意味するという説、烏は黒点を意味するもという説があるらしい。この烏は三本足で描かれることが多い(但し二本足もある模様)。足が三本なのは陰陽の関係で奇数=陽であることが太陽を表すに相応しいということだろうか。実は三本足の烏は高句麗でも同様であった。日本の八咫烏が三本足なのは中国の影響と考える学者がいる。最も八咫烏は烏ではなく人々を指すという説もある。
●淮南子 第七篇「精神訓」
「日中有踆烏 而月中有蟾蜍」
・・太陽には三本足の烏がおり、月にはヒキガエル(蟾蜍)がいる
4.月と嫦娥、蟾蜍と兎
米国を中心に日本も参加している月を主ターゲットとするアルテミス計画が進行中なのは周知のとおり。これに対抗するのが中国の「嫦娥計画」である。嫦娥は月の女神ということだからであろう。月に住むようになった経緯は、淮南子第六篇「覧冥訓」を要約すれば以下のとおり。
「弓の名手である羿(げい)は西王母(道教の女神)に不死の薬を請い受けた。ところが彼の妻の嫦娥(元は天女)はそれを盗み、夫を残して月に奔った(逃げた)」
上記3と合わせて嫦娥が月に行って蟾蜍になったという説が生まれ、中国では月に住むのは蟾蜍と兎の二節があるようだ。一方、高句麗では月に住むのは亀とされていたらしい。
【補足:淮南子とは】
淮南(わいなん)国王であった劉安(紀元前179年 - 紀元前122年)が多数の食客(学者)に編纂させた二一篇からなる書物。道教・老荘思想を主に天文、神話、人生訓、陰陽道等雑多な話題が載っており、分類不能な「雑書」とされている。先行する雑書として、秦の始皇帝の宰相で始皇帝の実父とも噂された呂不韋が同じく多数の食客に編纂させた『呂氏春秋伝』がある。また、淮南子は屈原で有名な『楚辞』とも共通の思想があると思われ、黄河流域の儒教中心の中央政府に対して、長江流域(江南、楚の國など)の道教の思想が反映されているとも言われる。淮南王の劉安は漢(前漢)創始者、劉邦(高祖)の子孫であるが、漢王室(武帝の時代)への謀反の疑い(冤罪説あり)が発覚し自殺した。
淮南子は漢籍の素養が必要だった古代~明治時代(或いは戦前)の日本の教養人は知っていたのかも知れない。一番有名なのは第十八篇「人間訓」に載っている「人間(じんかん)万事塞翁が馬」ではないだろうか。
蛇足:
発見されているもので日本の最古の文献は古事記とされているようだ(他に古いものとしては万葉集、日本書紀、風土記がある)。しかし、古事記より古いものが何もないということはないと思う。記紀を作る際に意図的に焼却したのか知れないが、それだけでは完璧に消失することはないのではないかと思っている。
画像は何れもウイキペディアより
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