東京の地酒
今回は特殊な話題なので、日本酒に興味の無い方、飲まない方はスルーして頂きたい。
まず地酒とは何か、知っているようで知らないような言葉であるかもしれないため、そこから始める。地酒とは、テレビでCMを流し全国展開している、更には社によっては海外展開している主に灘・伏見の大手酒造業者・・銘柄名でいえば、菊正宗、日本盛、大関、白鶴、月桂冠など・・に相対する用語として出て来たもの。つまり、元は地元(蔵のある都道府県および近隣の都道府県)での消費だったものが、大都市等、地元以外にも展開を始めた時に作られたものである。地酒という用語が出来たため、前記大手酒販業者の銘柄はナショナル・ブランドと呼ばれるようになった。最も、山口県の獺祭のように今や地酒というよりナショナル・ブランド化した地酒もある。
東京の酒については、葛飾区の郷土と天文の博物館『2008年度特別展「首都圏の酒造り」展示解説書』によれば、明治43年に区部(旧東京市といった方が正確)に64の酒造業者があり、また、国府田宏行(1980)『東京の地酒』婦人生活者によれば、戦前の東京に29蔵、1979年には18蔵あったそうだが、現在、実際に酒造りをしている蔵は7つしかない(酒造業者としては9蔵ある。その内の2蔵は他の蔵に製造委託している)。7つの内、多摩以外にあるのは港区の1蔵である。
https://www.tokyosake.or.jp/brewery/
(注1)東京都酒造組合のWEBサイトには10蔵紹介されているが、1蔵(土屋酒造)は休業中で復活の見込み無し
(注2)自家醸造をせず他社に製造委託しているには小澤酒造場(桑乃都)、野口酒造店(國府鶴)である。
以下、主な特徴というかポイントを列記する
①東京の代表銘柄は澤ノ井(小澤酒造)、多満自慢(石川酒造)、嘉泉(田村酒造場)と相場が決まっている。
②人気ランキングでは屋守(豊島屋酒造(金婚も製造))が断然の一位。
③港区の東京港醸造は100年以上前に廃業した蔵を2010年代に復活させたもの。水道水で醸造を行っている。江戸開城は人気がある。
④ 東京の酒作りは、嘗ては越後杜氏が大半を担っていた。よって淡麗辛口が多かったが今は越後杜氏の時代ではなくなっている(因みに日本三大杜氏という場合、丹波杜氏、越後杜氏、南部杜氏を指す。今は南部杜氏が最大勢力)。
今回は2つの酒造について補足する。
<小澤酒造>
奥多摩の青梅線・沢井駅の多摩川沿いにある。前出『東京の地酒』によれば家祖は武田家の家臣(家康に寝返り本能寺に変で明智勢に討ち取られた穴山梅雪系家臣の模様)。社長に聞いたところ東京の日本酒製造量の過半を占めているとのこと。一駅上流に御嶽山・御嶽渓谷があり、付近に日本画の大家、川合玉堂の「玉堂美術館」、小澤酒造運営の「櫛かんざし美術館」、更には「吉川英治記念館」「寒山寺」、北原白秋の歌碑がある。御嶽からこれらに寄りつつ最後は小澤酒造の飲食処で一献やるのも一興か。
小澤酒造の会長の奥様は川合玉堂のお孫さんとのこと。
<豊島屋酒造>
豊島屋酒造自体は明治中頃に開業したものであるが、親会社の神田にある豊島屋(豊島屋本店が正式名)は徳川幕府開闢前の1596年創業。江戸最古の酒屋(升で量り売りしていたので「升さかや」という)と言われている。酒屋の店先で飲むことを「居酒(いざけ)」と称していた。豊島屋はじきに田楽など軽い肴も出すようになり、居酒屋の元祖とも言われている(居酒→居酒屋)。下り酒などの日本酒の販売だけではなく、江戸市中で知らぬ人はないと言われた自家醸造の白酒で有名で、江戸名所図会や『東海道中膝栗毛』などに登場。
本来の主要銘柄である金婚(元は金婚正宗)は、明治天皇の銀婚式に更なる長寿を祈念し命名されたものである。
以下は江戸名所図会の豊島屋(国会図書館デジタルコレクション)
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