鎌倉殿の13人。虚構の源平合戦
今回は、歴史好きの人には釈迦に説法の話で恐縮です。
珍しくNHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を見ている。何故かは分からない(あまり取り上げられなかったテーマだからか、三谷幸喜脚本だからか?)。
さて、佐殿こと源頼朝を担いだ有力者は、殆どいっていい程ほど、桓武平氏の流れであるのは、ご存知の方が多いであろう。北条時政・義時、安達盛長、三浦義澄・義村、和田義盛、土肥実平、梶原景時、上総広常、千葉常胤・・と枚挙に暇がない。将門を出すまでもなく、平氏の主要勢力は坂東であったので当然と言えば当然である(蛇足乍ら、武田、足利、新田などの源氏は坂東武者とは言い難いところがある)。一方、頼朝は河内源氏の流れなので、本来は畿内が基盤である。
これに対し、平清盛は伊勢に拠点を置いた伊勢平氏の流れである。都で朝廷に仕える家門は「家」を使う(藤原家など)ので、細かいことを捨象すれば清盛の系統(だけ)が「平家」ということになる。従って、平家物語にいうよう「奢る平家は久しからず」は正しいが平氏が壇ノ浦で滅亡したというのは誤りである。
よく「源平合戦」と言われるが、識者の間で「平・平合戦」、平家(伊勢平氏)VS坂東平氏合戦とも言われる。誰が、或いは何時から源平合戦に変わったのか分からない。源氏VS平氏という構図が分かり易いからであろうか。小学校の運動会では源平合戦に因み紅白対抗戦になっていたが、余り対抗戦という気はしなかった。学年で2組だった為、組で紅白を分けると組の対立軸になってしまうので好ましくないことから、同じ組内を紅白に分けたからのような気もする(記憶は定かでない)。
鎌倉殿の13人は頼朝亡き後の13人による「合議制」に基づいている。山川の高校教科書『詳説日本史B』にも出ている。但し、歴史的に正しいかは異論もあるようだ。私が入社した頃、最高意思決定機関は「経営会議」と読んでいて、これは合議制による意思決定だと新人研修の時から叩き込まれたので、この用語には少し親しみを感じている。