見出し画像

歴史の中の国分寺と現在の国分寺

聖武天皇(皇后は有名な(藤原)光明子)が全国に国分寺と国分尼寺を造らせたことは小中学生でも知っているかもしれない事柄であろう。もう一つの東大寺の大仏=盧舎那仏建立もそうかも知れない。
【補足:東大寺の大仏】
東大寺の大仏を造る際、銅の精錬で大量の水銀を使い住民に中毒を起こしたという説がある。そうではないかも知れないという東大の研究がある。
https://www.aori.u-tokyo.ac.jp/research/topics/2014/20140703.html

今回書いているきっかけは、神奈川の海老名に国分寺跡があると知ったことである。全国(古代領国制の国の単位)に造らせたのだから相模国にあって不思議はないものの、相模国の中心と思えない海老名にあったこと、及び、東京に長く住んでいると国分寺市にある国分寺跡(近くに国分尼寺跡も)位しかイメージが出来なくなっていたからである。少なくとも市名に国分寺を付けているとのは東京だけのはずである。

国分寺がいくつあったかというと、武蔵国国分寺跡資料館できいたところ、62箇所あったとのことである。従って、全ての国に造られた訳ではなかった(奈良時代の領国は68(壱岐・対馬を含む)なので62/68)。国分寺は概ね国府に近接して建立されたようである。武蔵国の国府は現府中市、国分寺は現国分寺市であるけれど、これは近接の範囲と考えた方が良いと思われる。以下に全国の国分寺跡が掲載されている。国府や総社の場所も併せて分かるので参考まで。因みに武蔵国の総社は大國魂神社。
https://www.shiseki-chikei.com/%E5%85%A8%E5%9B%BD%E5%9B%BD%E5%88%86%E5%AF%BA%E8%B7%A1/

国分寺市にある武蔵国国分寺がそうであるように、嘗ての国分寺がそのまま残っているところは残念ながら全くなさそうだ。礎石が残っているところ、別の寺として継続しているところはある(上記URL参照)。尚、名前の一部に「国分寺」を冠する寺はあれども奈良時代のものではない。但し、全国の国分寺の親玉=総国分寺は東大寺で華厳宗であるので、何度か消失して建て直されているとは言え、残っていると言えなくもない。

そもそも奈良時代に国分寺(本当は国分僧寺だとか)という寺名はなく、
  国分寺・・・金光明四天王護国之寺
  国分尼寺・・法華滅罪之寺

が正式名称である。最も現在の寺のように寺名を山門などに表示することは当時なかったと推察する。

聖武天皇の詔によれば、国分寺には「七重の塔」を建てなければならないのだが、五重の塔や三重の塔で済ませたところもあるようだ。先に奈良時代の国分寺は全く残っていないと書いたよう七重の塔も全く残っていない(現代で復元したものは除く)。
国分寺建立の詔:
https://www.city.kokubunji.tokyo.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/004/239/explanatory_sheet.no.2.2016.pdf

武蔵国国分寺の模型~武蔵国国分寺跡資料館にて筆者冊得

武蔵国国分寺跡近くに「お鷹の道」という小径および「真姿の池」という池があり、古来より湧水に恵まれたところである。この辺りは「国分寺崖線」に沿ったところで崖線沿いに「はけ(湧水源)」が点在し野川に流れ込み、最終的に二子玉川で多摩川と合流する。

「はけの学校より」
https://www.web-gis.jp/GM1000/GM_Red1/GM_Red1-051.html


「お鷹の道・真姿の池」湧水群の紹介
https://www.city.kokubunji.tokyo.jp/shisetsu/kouen/1005195/1004229.html
以下は筆者撮影写真:
https://photos.app.goo.gl/KjyyBZ7ZXvNrCFjF9

前述の武蔵国国分寺跡資料館は「お鷹の道」沿いにありその前にはカフェもある。先日初めて資料館に入り興味深い発掘物が多々あることが分かった。武蔵国の国分寺は「分倍河原の戦い」で消失したそうで・・逆に言えばそれまで残っていたことになる・・、その代わりに新田義貞が薬師堂を建てたとのことである。

JR分倍河原駅前に立つ新田義貞像~筆者撮影

武蔵国国分寺跡資料館および薬師堂について筆者が撮影したものをご参考までに。

蛇足:
武蔵国国分寺跡資料館入場料は100円で現金のみである。交通カード、クレジットカード、スマホがあれば大抵用が足りるので、現金を持たず=財布を持たずに外出することも多くなった。しかし、現金オンリーのみのところもまだあるのでデジタル化普及は未だし。現金を持たないが故に入れなかったことから、今回が資料館の初入館となった。

オマケ:
「お鷹の道」や国分寺跡の最寄り駅はJR西国分寺駅で、向かう途中に東京都公文書館がある。定期的に展示会をやっておりよく訪れている。今回も丁度展示会をやっている時期だった。下に付けた写真は展示会の図録で38ページあり(当然無料)、展示されているものが全て掲載されているので、これを手に入れるだけでも有用だと感じた。展示会では必ず充実した図録が置いてある。

「東京公文書館アーカイブス」展示図録

以下は上記展示会で筆者が撮影したもの。
https://photos.app.goo.gl/jB6k3FESmR939JeP8


いいなと思ったら応援しよう!