役職は、職業になりました。
読広のいいやつから、
社会のいいやつになれ。
部長からもらった大事な言葉と共に、
新卒で入社した読売広告社を卒業しました。
3月31日付で辞めたのに、
ずっと、ずっと、ずっと、ずーーっっと、
自分が何をやってるかを報告することに、怯えていました。
どうして、こんなに簡単なことが、
できないんだろうって、
今、この瞬間も思います。
やりたいと感じた事に積極的に挑戦するのは、
何度もやってきた事だし、
今回もそれ自体の恐怖はありませんでした。
「成功体験の乏しさ」
僕は、自分の意志で挑んで、
満足のいく結果を残した回数が多くありません。
それが、挑戦は出来ても、
どこかで自分の選択を尊重しきって
あげられない原因なんだと気が付きました。
自信は鎧、実績が剣。
まだ細くて、短くて、脆いです。
ちゃんと報告できるようになったら、
自分が納得できる形になったら、
応援してくれている人にきちんと伝えたい。
決意だと思い込んでいた、先送りの理由だったのかもしれません。
勇気は、お仕事をさせて頂いているパートナー企業の皆様がくれました。
僕は4月から、GEKIという企業で働いています。
主な仕事はスタートアップ企業のブランディングです。
スタートアップ企業の方々は自社のブランドが
世の中の課題をどう解決できるかを常に考えている方ばかりです。
だから自然と軸足が生活者側にあります。
そして年々増え続けるスタートアップに伴って、
資金調達のインフラも整備されてきているので、
資金面での支援をしてくれる企業も増えてきました。
動力源の環境が整い始めてきた市場の中で、
僕が提供できるのは、「企業が世の中と結ばれるための発射台」を、
言葉を起点につくっていくことです。
多額のマーケティングコストを割けないからこそ、
絶対数こそ少ないステークホルダーとの接触時には、
言葉の力が占めるウェイトが大きいと感じています。
市場、競合、顧客、需要と、
その企業が提供できる価値を見極めて、
体温や語り口をコピーで表現する。
コピーとデザインの温度がズレないように、
アウトプットをチームで仕上げていく。
この2つに専念して、
皆様から頂いた評価の積み重ねが、恐怖を断ち切る勇気になりました。
需要が生まれて、ようやく僕の役割だった肩書きは職業になりました。
ド派手なキャンペーンとは当分縁がないかもしれないですが、
この道の先に理想があるので、
目の前の仕事を少しでも良い仕上がりにすることで、
ド派手なキャンペーンにしていけるような力をつけていきたいと思います。
3年と、5ヶ月と、2日と、20時間半。
考え始めてから、数多くある中の、
一つの答えには辿り着きました。
長い間、待たせてしまってごめんなさい。
あとはもう、一直線に走っていきます。
これは、広告とどのように関わりたいかを考えてから3年強、
関わり方を決めてから5ヶ月もの時間が経ってようやく
Facebookに投稿できた文章です。
やりたい。なりたい。
僕にとってコピーライターという職業は、
それだけで名乗っていいものではなかったんです。
アメリカに、6年間暮らしていました。
8歳から14歳の多感な時期です。
言葉がなくても、
なんとかなることも知りましたが、
言葉がないと、
対話はできないこともわかりました。
言葉の大切さは、身をもって体感したつもりです。
だから、というのもあると思いますが、
意志や真意が相手に対して伝わっていない
状態をどうにかして解決したいという気持ちが、
人一倍強いんだと思います。
そんな人間が、なりたいという一方通行な気持ちだけで、
名乗って良いわけがないという考えも、胸を張れない要因でした。
けど、今はしっかりと胸を張って自分の職業だと言えます。
実力はまだまだですが、認めてくれる方々のおかげで、
僕はようやくコピーライターになりました。
4月に踏み出したこの一歩は、
3年半もの間、トンネルから出られなかった僕を外に連れ出してくれた一歩になり、僕に職業を与えてくれた一歩にもなりました。