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貧乏かつアホだったので宅浪したら京大に受かった話
※忙しい人はタイトルと太字部分だけ読めば大体OK!
自己紹介はすでに書いたところですが,私の宅浪部分に関するイントロ的な記事も書いておこうと思います.現役時代の受験失敗,宅浪を始めた経緯と内容,そこからさらに失敗して最終的になんとか京大に受かる話を書いていきたいと思います.
一応断っておきたいのですが,筆者は決して自分のやったことを自慢したいわけではありません.不幸自慢をしたいわけでもありません.ただ、自分なりの客観的な視点に立って振り返ると,それなりにハードな宅浪生活であり,失敗もしたが最終的に帳尻を合わせられた面があると思っています.その苦労した宅浪生活から切り出したノウハウが,どこかの誰かの人生を好転させる助けになれば良いと思っての活動だとご理解いただければ幸いです.
現役生時代の受験失敗
すでに別のところでも書いたが,筆者は現役生としての受験に失敗している.現役時代に受験したのは前・後期ともに神戸大学(神大)の工学部であった.当時のセンター試験の点数は8割ジャストくらいだったと思うが,新教育課程1年目のタイミングということで難易度が下がっていたことを考えると自分としても納得できないものであった.自分はまぁまぁ勉強ができると思っていた筆者にとって,神大は「行けそう」くらいの感覚で選んでいた気がする.ただ実は,高校で受けさせられた模試でも神大にはE判定が付いていた記憶があり,本当は勉強自体も思うように進んでいなかった気がする.神大はいわゆる旧帝大であり,国公立の中でも上位に入る大学であると言って良いだろう.後から考えると,そこそこ無茶な挑戦をしていたのかもしれない.
なお,他の大学などは一切受けていなかった.我が家は年収200万円台の片親世帯であり,私立大学に受かったとて通うことは困難だと考えていたからである.ただ,貧乏だから私立に受かっても通えないので受けないという選択は,今思えば少し性急であった.世の中には給付型,有利子・無利子の貸与型など奨学金が数多く存在するので,合格後の金銭が工面できないと諦めている方は少し考え直して欲しいと今なら思う.ただ,筆者はそんなこと知らない情弱だったので,あえなく不合格となって浪人への道を突き進むのである.
宅浪生活の開始 ー金がないので工夫するー
現役時代の受験を失敗で終えた筆者は浪人生活を送ることにした.自己紹介にも既に書いたが,予備校や塾,通信教育の類も一切使用しない宅浪である.なお,これは他に選択肢がなかったが故のことであり,もし潤沢に資金があれば予備校に通う選択をしていたと思う.我が家は年収200万円台の世帯なので,子供の教育に使うような金は無いというシンプルな理由だ.また,筆者には弟がいるのだが,「弟が塾なしでやっているのにお前だけ特別扱いはできない」ということも言われた.いや,それなら両方行かせりゃいいだろ,とも思うが,つまるところ金がないのが理由で、父を問い詰めても仕方ないのでやめた.一度,同じように浪人が決まった高校の同級生が「たった80万円で通えるよ!」と予備校に行くのを勧めてくれたのが懐かしい.
ただし,生活の原資が全くなかったわけでもない.まず、父が卒業祝いに4万円のお小遣いをくれたのだ.また,親戚の叔父叔母がお年玉をくれていたのも大きかった.これらの蓄えをもとに,筆者は金なしでもなんとかなりそうな宅浪プランを立てて実行することにした.
勉強場所の工夫
まず,宅浪といえど自宅で勉強するのはNGにした.勉強を日常生活とシームレスに繋いでしまうと,メリハリが出ず筆者のように環境から影響を受ける性格では効率が悪いと考えたからだ.勉強場所に選んだのは図書館であったが,場所を自宅以外にしたことは勉強の時間を特別なものとし集中力を高める効果があったと思う.図書館に都合よく無料の自習室が設けられていたので,そこを利用させてもらったのである.なお,図書館までは自宅ーJRー市電で1時間ほどだったと思うが,これは高校生活で使用したルートと途中まで全く同じで,特にストレスなく通うことができた.図書館の近くには激安スーパーや商店街があり,昼食の調達に都合が良かったという事情もある.
勉強時間の工夫
勉強時間については,朝10:00から夜18:30~19:00を確保していた.この内,昼食休憩に1時間,小休憩に20分をとっていたと思う.今考えると1日の勉強時間がそれほど長くない(8時間ほど)ことに気づくが,息切れしてやめてしまうのが最も怖いことなのでこれくらいで良かったのかもしれない.そして,この1日分をだいたい3分割して各スロットで1教科ずつ勉強していたと思う.特に気をつけていたのが,教科を選り好みせず,合格のために勉強することであった.好きな科目ばかりやるようなアホなことをし出すと,当然実力にムラができるだけでなく「勉強している」と自分に言い訳ができてしまうため始末が悪いからである.
勉強法の工夫
既に登場しているが,筆者が最初に行ったのは勉強法の勉強であり,これが浪人初期において最も大事なプロセスであるという意見は今も変わっていない.様々に調査する中で行き着いた和田秀樹氏の著書を読み漁り,そこに紹介されていた勉強法を「数学」「英語」「理科」で実践した.この和田氏の手法は効果抜群で,特に数学と英語について,現役時代と浪人を終えた後で筆者の実力は別人級であると思う.なお,国語と社会については和田氏の本をそれほど活用していなかった.国語は高校卒業時点でかなり仕上がっており,目は通したものの特に新しい手法を取り入れる必要性はなかった(実際,そのまま乗り切った).社会についても,所詮は覚えるだけなので特に必要ないと判断した.そもそも自分は理系なので,社会の実力はセンターが乗り切れれば十分だったのである.
志望校の工夫
志望校選びも重要なポイントであり,勉強する科目の種類や難易度がこれによって決定される部分も大きい.筆者は志望校を前年の神大工学部から東京大学理科1類へと大幅に上げることにした.わかると思うが,別に何も工夫しておらず,一番難しい大学の自分がやりたいことに直結する類を選んだのみである.ただ,全く工夫していないというのも悔しいので,それらしい点を少しだけ捻り出してみる.この選択の良いところは,勉強科目の取り漏らしがないということであろう.東京大学理科1〜3類は,二次試験に国語を課す大学である.この方式は後年京大も取り入れたようだが,当時はまだ珍しかった.流石に社会はないが,それ以外の全ての科目において二次試験の勉強をしなければならないわけだ.これは最もハードなコースなのだが,万が一志望校を落とすことになっても,新たに何かを一から勉強し出すという必要がないのである.実際筆者は受験直前で東大→京大の志望校変更を行ったが,この過程が実現したのは試験科目から国語が減るだけという関係性があったからである.
ただし,神大に落ちている人間が独学で東大を目指すというのはかなり無茶な考えである.当然,周りからは冷ややかな目で見られていたと思うが,当時は知らんがな状態だったので気にしていなかった.
このようにいくつかの工夫を凝らし,金なし宅浪生活を回し始めた.かかる金と言えば「参考書代」「昼飯代」「電車代」くらいであり,アルバイトもせずにやりくりすることができた.
宅浪一年目で伸びた力
上のような計画のもと始めた宅浪は,思いの外順調だった.もともと真面目に高校の授業を受けていた(予習・復習という意味で)おかげで,独学で勉強する素養が身についていたのは大きかったと考えている.これを「独学の力」と呼んでいるが,つまりは間違えた問題の内容を,参考書などの解答例を見ることで理解する能力のことである.宅浪生活の勉強面で一番大事な力は,この独学の力であろう.
生活面に関しても,誘惑に大きく引っ張られることもなく日々のプランをこなすことができていた.土日に適度に休んだり,夏休みに友人と遊んだり,帰宅後しっかりと睡眠を取ったり,と必要以上に精神を圧迫しないスタイルが良かったのだと思う.宅浪の場合は組織に所属しない孤独な戦いなので,サボろうと思えばいくらでもサボれてしまう.筆者の場合は特に片親ということもあり,家族から受けられるサポートも限られている(朝メシが出てくるとか起こらない).そういう意味で,早い段階から自分を追い込むことは危険なのだ.年下の女性に交際を申し込まれたこともあったが,好みでなかったので強い意志で断った.
成長が見えた夏のセンター模試
実感として宅浪の滑り出しは順調に感じていたが,大事なのはとにかく本番で点数を取ることであり,従って日々の勉強が実践力につながらないと意味がない.そういう意味で,夏に開催されるセンター模試が最初の力試しとなる.この模試で測ることのできるものは,宅浪している自分と予備校に通っているであろう他の浪人生との差である.なお,現役生はまだまだ力が発展途上で点数も伸びないため,夏の時点であまり気にしても仕方ない.ただし,逆に現役生を侮ってもいけない(彼らは終盤に猛烈に追い上げる).
この夏のセンター模試は8割を超え,神大の志望者順位では全国3位となった.また,東大の理科1類にもC判定がつき,自分の力が思いの外伸びていることを確認することができた.この結果が示すことは,予備校に通っている同級生に対して私が結構な差をつけているということである.直接コンタクトを取らずとも,どこに何人分布しているかを見れば,大体の立ち位置がわかる.模試の受験者の中では,既にそこそこの位置につけていたのである.
見えてきた課題
このまま順調にいけば良かったのであるが,時間が進むうちに課題も見えてきた.記述式模試の成績が思ったように上がらないのである.受けていたのは東大模試であるが,やはり素人が独学で対抗できる範囲には限りがあるのでは?と思えてくるほどに当時は歯が立たなかった(E判定).ただ,今思うと当時の私は少し頭でっかちで,もう少し柔軟に力を測れば良かったかもしれないと後から思う.というのも,世の中には東大や京大,旧帝大以外の大学がもちろんあるわけで,そういった別の大学の問題にも手を広げれば,もう少し公正に実力を測ることができたかもしれない.というのも実は,多くの(たぶん)大学の二次試験で十分通用する力が既に養われていたのである.ただし筆者がこのことを実感するのは,宅浪2年目の中期日程当日のことであるのだが.
受験直前の仕上がり
このように独自の宅浪プランを立て実行した1年目の浪人生活は,ついに本番を迎えることになる.ここまでで勉強した科目は,数学(Ⅰ〜Ⅲ,A〜C),理科(物理,化学),英語,国語(現文,古文,漢文),社会(地理)である.東大模試に不安こそあれ,現役時代と違って力がついていることを実感できた.この状態で,筆者はセンター試験へと突入していくことになる.
また最も重要なことの一つであるが,筆者は1年目の宅浪生活で一度も病んでいない.心も身体も健康な状態で受験本番を迎えることができた点は,かなり大きかったと思う(落ちたけど).
浪人1年目の受験
センター試験
現在は共通試験と名を変えているが,当時はセンター試験という名前だった.これまでやってきたことをぶつける日がようやくやってきたわけである.
ここでは,思いがけない体験をした.というのも,同じく浪人している高校の同級生たちと試験会場で再会したのである.彼らの多くは予備校に通い,見違えるような成長を遂げているらしかった.例えば,現役当時私より勉強が苦手だった同級生が「センターの結果が良かったら阪大を受ける」などと言っていたのには驚いた.
その言葉にすっかりビビり上がってしまった私だったが,幸いアホなのですぐに忘れて試験に臨むことができた.この年は特に数Ⅰ・Aの試験においてある問題が捻られていたのだが,勉強の成果が出たのか私はすんなりと解くことができた.やはり,1年前からの成長を感じる.ちなみに,先ほど阪大受ける宣言をしていた同級生はここでつまずき,阪大を受けるどころではなくなってしまったようである.会場には他にも多くの同級生がいたのだが,やはり同じようにこの問題を解けなかったようである.これを見て,狭い範囲ながら自分の宅浪戦略の勝利を実感した.
ただ,結果としてセンター試験の得点率は82%程度だったように思う.新過程2年目ということで,易しかった1年目から難易度の振り戻しがあった,と勝手に実感しているのだが,とにかくこの点数で東大を受けるかは微妙なところであった.何せ,二次試験の模試の成績が振るっておらず,このまま東大を受けてもかなり厳しい戦いを強いられる可能性があったのである.
阪大受験の失敗,そして2年目の宅浪へ
タイトルにもあるが,結局筆者は大阪大学(阪大)に前・後期とも出願した.1年間勉強したあとの志望校変更として,やはりこのくらいの難易度は確保したいというプライドもあったのだろう.ただご存知かと思うが,阪大も屈指の難関大であることに変わりはない.もちろん舐めてかかったわけではないが,最終的には不合格となった.センター後に阪大の赤本を買って勉強していたが,確かに難易度が高いと感じていた記憶がある.ただし,不合格だったからといって1年の宅浪生活が全くダメだったわけではなく,予備校組と比較しても実力が上であったことは数字が示していた.とはいえ、自分の希望する大学への合格を叶えるには,あと一歩かあるいはそれ以上足りなかったようである.
ちなみにこの年、弟は京大に現役合格している.叔父に言われた「お前は弟の7割くらいの出来だから諦めろ」の言葉には流石に打ちのめされた.そのような感じで,私の宅浪1年目は幕を下ろした.流石に2浪目が決まった時には放心状態で,このままどこにも進学できずただのプータローになるのではないかと恐れたものである.
宅浪2年目
スタートを切ることができるのか
成果が出なかった宅浪をもう1年,なんの後ろ盾もなく続けるということは恐怖であり,自分が腐らず無事にリスタートできるかどうかは不安だった.しかし,3月をしっかり怠けたことで4月からは自然と勉強を始めることができていた.やる内容は基本的に同じで,図書館に行って勉強法をマイナーチェンジしながら日々コツコツと積み上げていくのである.また,1日のスケジュールにはもう慣れているので,図書館の閉館後に近くの公共施設に場所を移して追加で勉強するようにもなっていた.とにかく金がないので,次の受験をものにするしかない,ということである.この,もう後がない,という点を理解していたのが,今の私の人生につながっているのだろう.
2年目で変わったこと
2年目に勉強ばかりしていたかと言われると実はそうでもない.家と図書館の往復生活に閉塞感を感じていたのと,なんの資格もない19歳という状態が不安でたまらなかったこともあり,少し新しいことも始めた.
まず,バイクの免許をとった.バイクとは原付のことではなく普通自動2輪車で,教習所に通って普通自動車と同じ授業,同じ学科試験を経て取得する免許である.この学科試験に合格したことで,自分が東大志望と言っているだけの底なしのアホ,という疑いは少し晴れた.一切の試験に受からないのではないか,なんて疑い始めていたのである.加えて,今まで自転車で通っていた駅までの道のりが格段に楽になった.また,家庭教師のアルバイトも少しだけ入れ,自分の生活資金にした.側から見れば「勉強ができずに横道にそれ出した」と思われていたのかもしれないが,これらは良い気分転換になったと思う.
受験本番
実は,宅浪2年目にはそれほど新しいことは起こらなかった.同じように勉強しているだけだし,コツコツと積み上げる作業の毎日は意外にも早く過ぎ去っていったのである.ただ,この年は12月という大事な時期にノロウィルスに感染し,予定していた記述式の模試をサボってしまった.ずっとゲロゲロ吐いていたので行けるわけもないのだが.ということで,直前の実力判定ができないままの少し不安な状態で,筆者は3度目の受験に突入したのである.
さて,最初はセンター試験本番であるが,この年は87%の得点率を出すことができた.社会と珍しくリスニングが足を引っ張った(前年まで2回受けて1問しか間違えたことがなかった)のだが,それ以外は概ね順調だった.
志望校の決定
次に問題となるのが,志望校の決定である.東大志望と宣言はしたものの,肝心の東大模試では思うような成績が出ておらず,このまま受けてもかなり敗戦色が濃厚であるとの思いを強く持っていた.妙にセンター試験が良かった分,このチャンスを棒に振ることが怖くなったというのもある.じゃあ阪大を受けるのかといえば,去年と同じところというのも少し抵抗があった.そこで目を向けたのが,弟の進学先として少し嫌厭(けんえん)していた京大である.何しろ兄弟が合格者なので,京大の赤本はすぐに手に入る.試しに数学の赤本をちょっと借りて解いてみたのだが,これが不思議なことにスラスラと解けるのである.これがたまたまなのかというとそうでもなく,他の問題に手を出しても同じようにかなり解くことができた.この後に及んで気づいたのだが,どうやら筆者は京大の数学に幾分か向いていたのである.その他の教科についても問題の傾向を調査した結果,英語についてもまさに自分の勉強法とマッチする問題が出ており,この辺りが決め手となって宅浪2年目の志望校を京大にしたのである.
京大受験と感触
京大受験の日はすぐにやってくるわけであるが,受験会場の下見さえしなかった.何せ弟が毎日通っているので,一番確実なルートを教えてもらうことができたからだ.肝心の試験であるが,幸運なことに数学でかなり解けた感触を得ることができた.英語についてもそれなりであった.物理と化学には不安が残ったものの,終わったことを言っても仕方ないのであとは運を天に任せて筆者の前期日程が終了した.
中期日程を受けてみて気づいたこと
この年,実は中期日程という前・後期試験の間に設けられている特殊な入試にも出願していた.お恥ずかしい話,このような試験日程の存在を全く知らなかったのだが,どうやら医学部や京大受験の滑り止めとしてよく活用されるものだということである.その試験を受けて思ったことは「こんなに簡単でいいの?」である.失礼を承知で書くのだが,あまりに問題がスラスラと解けてしまい拍子抜けした.意識ばかり高くて難しい大学の入試問題にばかりトライしていた筆者は,自分の視点がかなり偏っていたことに気づいたのである.
合格発表
中期日程を終えた筆者は,後期試験の前に京大の合格発表を迎えることとなる.後期は阪大に出願していたのだが,これは京大が後期日程自体を廃止していたことによる.京大は前期試験一発勝負だったのである.
合格発表は,友人の家でインターネットを借りて確認した.我が家にはインターネットの環境がなかったということもあるのだが,今思うと自宅で確認する勇気がなかっただけかもしれない.ともかく,これでもかというほどにビビりながら確認した結果,合格者一覧の中に自分の受験番号を見つけることができた.まぁこれほど嬉しい体験もなかった.宅浪生として色々な本を読みながら我流で立てた勉強方法が京大の入試に通用してしまったのだから,そういう意味でもかなり大きな財産を手に入れたと言えるだろう.
なお,この結果を受けて中期日程の合否発表は確認せず、後期の試験には行ってすらいない.
この記事で言いたいことなど
かなり長くなってしまったが,自分の宅浪体験の始まりから終わりまでを書いてみた.冒頭の繰り返しになってしまうが,念のためにもう一度書こうと思う.
勘違いしてほしくないのは,筆者は自分の成し遂げたことを自慢するためにこんな記事を書いているわけでは「ない」ということである(褒めてくれてもいいんだよ).もちろん不幸自慢をしたいわけでも「ない」.これを読んでいる人に,少しでも役立つ情報を拾って欲しいのだ.
自分が世界で一番不幸などというつもりはないしそんなこと思ったこともないが,客観的な視点を持つ努力をした結果,そこそこにハードモードの宅浪だったと思う.親族に大学進学者がほぼおらず,父は中卒,年収は200万円台で母親はすでに亡くなっていた.しかし,それでも最後は京大合格という形で帳尻を合わせることができた(かもしれない)と思っている.自分の合格体験記を精神論と結びつけて語ることはいくらでもできよう.「強い気持ちで頑張った」「親のためにやろうと思った」「感謝しかない」という言葉が思ってもないのに喉から飛び出しそうになるが,このnoteではできるだけ具体的なメソッドを添えてノウハウとしてお届けしたいと思っている.
興味を感じてくださった方は,ぜひ記事に目を通して欲しい.学力が伸びない,お金がなく大学を諦めそう,宅浪しか選択肢がないが不安,…など受験や進路に関する大きな不安を抱えている人に,筆者の記事が希望を与える未来を切に願ってやまない.ちゃんちゃん♪
K. HISAKAWA