ボードゲームの説明書のルール説明以外
挨拶
こんにちは!
2人用推理ボードゲーム『サラウアバク』
企画・ゲームデザインの大塚健吾です。
友人に中学校の教師がいます。
最近、彼が授業のコツについて話してくれました。
乱暴に要約すると、次の一言です。
“まず、授業以外の話をすること”
中学校っていうのは“生徒が自主的に学びに行く場所”では正直ないので、
最初にやるべきことは生徒が「授業を聞いてやってもいいか」と思うように興味を持たせることなのだそうで。
落語で言う“枕”だし、テレビやお笑いで言う“前説”ですね。
本来、必要でない物こそがお客さんの心をつかむのに、めちゃくちゃ重要っていう。
っていうのが“枕”で。
今回、ボードゲームの説明書について。
そのルール説明以外の話。
具体的に『シノミリア』と『サラウアバク』に書いた事をまとめます。
『シノミリア』でやったこと
まず、『シノミリア』
うっすら話題にもなりました。コレ。
“狩り方”
あんま説明書で聞いたことのない項目ですよね。
まぁまぁ、言っても、表現を変えたら、
“ゲームの基本戦略”ですよ。
それくらいなら他のボードゲームでも書かれてるのがあるんじゃないかな。
書いた理由。
①
Q.“ゲームの基本戦略”を書いた理由は……
A.せっかく自分のゲームを買ってくれた人が恥をかかないように。
②
Q.“ゲームの基本戦略”を“狩り方”と表現した理由は……
A.フレーバーを大事にしたから。
1個目。
例えば、『オセロ』に
「毎手番、その時、最も相手の石を取れる場所に置くだけのゲームじゃん!」
とか言ってしまうのはかなりカッコ悪いというか、
ちゃんとゲームを知った後、めちゃくちゃ恥ずかしくなるじゃんすか。
『シノミリア』で言うと、
「9出してチップ9枚積むだけのゲームじゃん!」
ですね。
コレ『オセロ』のそれと同じゲーム的にかなり損な選択肢ですからね。
ボードゲームの評価でよく使われる“シンプルで奥が深い”。
後半の“奥が深い”ってのは要するにコレで。
あくまでも、組み合わせの多さではなく、“初心者が最初に取りたくなるであろう戦略は最適戦略ではない”ってとこで、それが“深さ”です。
『シノミリア』の説明書はかなり優しくて。
「9出してチップ9枚積むだけのゲームじゃん!」
って言うのが不正解であることを記しています。
ただ、結果、“自称ボードゲーム上級者”って感じの人に結構恥かかせてしまって。
そもそも、そういう人は説明書のここ読まないよなぁと、申し訳なく、反省したのを覚えています。
それで言うと、
ボードゲームの説明書に“基本戦略”を書くことの是非ってのも興味深いテーマですよね。
『シノミリア』について。本筋じゃないんで、簡単に語りますけど、
『シノミリア』は“心理戦”がテーマの作品です。
この“心理戦”とは何かってのが重要で。
ボードゲーム制作講座とかするときによく次の質問をします。
「『ジャンケン』っていう作品は“心理戦”のゲーム?」
そうっちゃそうだし、違うっちゃ違う感じじゃないですか。
ん~、まぁ、概ね「違う」って答えが多いのかな。
違うって答えを出したなら、じゃあ、「なぜ『ジャンケン』は“心理戦”たりえないのか?」って問いに答えを出さなきゃいけなくて。
大きな理由に“相手の心理と選択を読む手がかり(根拠)がない”ってのがあります。
結果、相手の心理を読むことを諦めて、適当に手を選んで勝ったり負けたりする“運ゲー”になっちゃいます。
ここで言う“手がかりがない”ってのは、そのプレイヤーにとってです。
仮に3億個、相手の心理と選択を読める手がかりが入るようにデザイナーが設計しても、プレイヤーがそれを感じることができなかったら、感想としては「『ジャンケン』と同じだね」になります。
なので、『シノミリア』の説明書では本当に最低限の手の意味だけを記しています。
そういう最低限は説明書に記載した方が良いなと思っています。
それぐらいじゃ、“自分で見つける楽しさ”は少しも損なわれないなと。
2個目の表記について。
それらを“ゲームの基本戦略”ではなく“狩り方”と表現した理由は一言で“品”です。
『シノミリア』は
“ギャンブル漫画の主人公のようなボードゲーム体験!!”
がキャッチコピーのゲームなんですよ。
そんな作品の説明書がこんな親切にいろいろ教えてくれるのちょっと変じゃないですか。
そんでも、ある程度教えてあげたいし~、ってジレンマを解決してくれたのが、この“狩り方”という表記でした。
コツを教えつつも、教えてるという雰囲気がない。
あれですね。
『ハンターハンター』で言うとナックルみたいな感じです。
あの、ゴンVSナックルのあそこらへん。
『サラウアバク』でやったこと
まぁ、コレですよね。
※2人の内、より賢いプレイヤーが探偵側になることをお勧めします
このたった2行の※印が結構話題になりました。
がんばりました。本当に思い付いて良かったです。
ちなみにあれですよ?
怪盗側と探偵側の勝率。探偵側の方が低い
とか別にありませんからね!
同程度になるように、何度もめっちゃ計算して、何度もひたすらテストプレイをしています!
マジで大変だった。
じゃあ、なぜ、こんな2行が書いてあるのか?
って話を。
あのね、ボードゲームデザイナーとして、
今作で一番がんばったのがこの2行かもしれません。
まず、なんで勝率差がないように調整したのに“探偵側”ってあるのか。
コレはさっきの“心理戦”の話と同じ考え方で。
プレイヤーには相手の心理や選択を読む手がかりを“得よう”と思って欲しいんですよね。
そうじゃないと、ゲームがどれだけ手がかりを用意しても、受け取れない人にとっては、なんでも『ジャンケン』になってしまうんで。
『サラウアバク』のゲーム展開で最悪なのが、
怪盗側のプレイヤーが正解2つを最速で6択の状態で盗み、
探偵側のプレイヤーが6面ダイスを振って怪盗を当てること。
お互いがちゃんとしてたら、滅多にないとはいえ、理論上は存在する。
コレがどちらにとっても一番面白くない展開で。
そんなんしてくれんなよ!と書かれています。
それはいいとして。
それにしたって、なんかほら、
言い方がなんかちょっと腹立つじゃん。
何?“賢いプレイヤー”って。
コレも『シノミリア』の“狩り方”同様に別の言い方できますよね。
なんでしょう?一般的には“よりゲームに慣れたプレイヤー”とかですか。
そうできるのに、あえて、“賢いプレイヤー”と書かれてる理由はシンプルで。
「その方がなんか嫌な感じがするから」
コレです。
『サラウアバク』を一緒に制作いただける方、全員に自己紹介的に
必ず話した内容があって。
「“ボードゲームは遊んでる間に思わず笑顔が溢れてくる最高コミュケーションツール”とか。そういうのに僕は興味がないんです!ゲーム中は相手の顔と盤面だけ睨んでくれたら最高です!!笑顔になるならゲームが終わって勝った時、なんなら帰り道でなってたらいいんですよ!」
真剣勝負をして欲しいってのが自分のボードゲーム制作者として個性だと思っています。
その為にすげぇいろいろやっています。
コレは前回話しましたか。
“賢いプレイヤーの方が~”の一言で結構空気がピリつくんですよね。
それは今作にとって、とても好ましいものだと思っています。
ゲームってそういうもんだし。
いろいろ書きましたが、意識していたのはこちらです。
まぁ、ここまで煽られるとさすがに不愉快なんで、あれっすけど。
このまんま使うには不愉快過ぎて嫌だけど。いつか思想は使いたいなと思っていました。
そんな一文です。
結果、球磨川くん同様、説明書を読ませる効果もあったようで。
そういう良かったと思います。
僕が嫌われかねないけど。
余談ですけど、ゲームの難易度、探偵側と怪盗側どっちか高いんでしょうね。
前述のは、探偵側は最低限、相手の選択と盤面から情報を取る必要がありますけど、コレはある程度みんなできると思います。
じゃあ、怪盗側の方がその前提で自分の手を選択をする必要があり、一場面で考えられる選択肢はやや怪盗側の方が多いので、怪盗側の方が難易度が高い……
と、思わせておいて、探偵側はそんな相手の選択の意味を正しく取る必要が出てくるので………
(以下略)