「死にたい」と言う人は、本当は生きたがっている。
「死にたい」という言葉をガチトーンで言う人とは距離をとるべし、と思っている人は多いんじゃないかな。なぜ距離をとるのかというと、漠然と「危なさ」を感じるからだろう。
その危なさの感覚は、対象をよく知らないことに起因すると思う。だから、少しだけ、「死にたい」という発言について僕はここに書いていこうと思う。もちろん、僕がここに書いていく物事は「個人的な感想」の域をほとんど出ることがないだろう。それでも「死にたい」という言葉の一側面については触れているだろうと思う。だから、「なるほど、そういう面もあるのか」という風な多面的理解の一助となれば幸いである。(なんちゃってね。本当はただ、僕が書きたいから書くというだけのことだ。)
はじめに
ここでは、「尊厳死」「安楽死」のようなものは除外する。そうしたものは別個に扱う必要があると感じる体。ここで扱う「死にたい」は、健康で文化的な生活を送るはずの人間が、(特に二人っきりになったときなんかに)漏らす、ガチトーンの「死にたい」だ。(もちろん、冗談で言う「死にたい」も除外する。)
これら二者を見分けるのはそれほど難しいことではない。安楽死や、尊厳死を求める人たちは「死ぬ」という目的に対して合理的に「死にたい」と主張するだけだからだ。彼らは「死にたい」とアナウンスしないことには、自らの死をセッティングできなかったり、あるいは、自らの死後、やっかいごとが起こったりする。
僕がここで扱うのは、目的合理的でない「死にたい」発言だ。
「死にたい」という発言をどう捉えるか
さて、「死にたい」という言葉を額面通りに解釈して「よかったら手伝おうか?」なんて言う人は流石にいないだろうと思う。しかし、まれに「ご自由にどうぞ」と言う人がいる。そういった人は、「生きることが自由であるように、死ぬことも自由だ。故に、自殺は止められないし、止めるべきではない」と考えていたりする。僕は、そういった人たちに「違うでしょ」と言いたい。
なぜなら、「死にたい」と発言する人は、たとえどんなに本気でその言葉を口にしている風であったとしても、心の奥底では「生きたい」と思っているからだ。「勝手に死んだらいいじゃない?」と言う人は、言葉を額面通りに捉えすぎているがために、その裏のメッセージを見落としている。
「死にたい」という発言の本当の意味
死にたい、という言葉を誰かに向けて発するということは、「本当は、生きていきたいんだけどね」と言っているのと同じだ。なぜなら、誰かに向かって(特に親しい他者に向かって)「死にたい」と発言すれば、相手は全力で止めにくるだろうからだ。そういったアクションを期待するからこそ、わざわざ「死にたい」なんて言うのだろう。本当に心の底から死にたいと思っているのななら、誰にも何も言わず(むしろ、表面的な明るささえも装って)ただ、死ににいくための準備をする。
『この私』が死んだ後にも世界が続くのだ、という前提を選び取って生きている人は、自分が死んだ後、周りに迷惑がかからないように手続き的な準備を入念に行いさえする。『この私』が死んだ後の世界なんて、知ったことじゃないと思っている人は、なるべく楽で、納得のいくような死場所や方法を探す。(現世でのカルマを解消し、来世でなるべくいいところに生まれ変わりたいと思っている人は、できるだけ苦しんで死ぬことができるようにあれこれと準備をするのかもしれない。)
「死にたい」発言の問題
こんな風に、「死にたい」という発言の裏には「本当は生きたいんだ」というメッセージが隠れている。そのことは明らかだと思う。その上で、考える必要があるのは、どうしてその人は「死にたい」と発言することでしか「本当は生きたい」という心の奥底の望みを表現できないのか、という問題だ。
一体何が、その人をこじらせているのだろう?と考える必要があるだろう。一体何が、自然体での表現を妨げているのだろう?
果たしてそれは、一時的なものなのだろうか?あるいは恒久的なものなのだろうか?
一時的なものであれば、ただ、そばにいることでなんとかなることが多い。余談だけれど、僕の家には時折、一時的に「死にたく」なってしまった友達が泊まりにくることがある。僕が「好きなだけいればいんじゃない?」と言うからだ。中学生の三年間を八人部屋の寮で過ごした僕は、誰かと同じ空間で寝ることに対して極めて強い耐性を持つ。誰かがいても、いなくても熟睡できる。ちっとも迷惑じゃない。ちなみに、一時的に「死にたく」なる理由は失恋とか、ちょっとした(いや、まぁまぁ大きな?)失敗とかが多い。
問題は恒久的なものだろうと思う。恒久的なこじれによって、「死にたい」と本気で言っているのだとしたら、、、一般人にできることはあまりないのかもしれない。専門家を頼るのが一番だろう。
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