記念撮影
土曜日は、義母の着替えを持って病院に行く。
一人で行く。
なぜ血のつながらない僕が認知症の婆さんのために病院に行くのかというと、実の娘である女房が行きたがらないからだ。
女房は、子供の頃に義母(本人からみれば母)から虐待を受けていた。
具体例を話すと同じ境遇にある人は気分が悪くなると思うので割愛するが、母親に対する感情は恨みしかないと女房本人が言う。それでも、認知症の老人を放置しておくのはご近所に迷惑なので病院に入れている。
その女房が、今日は一緒に病院に行くという。
僕にカメラを持ってきてという。
遺影を撮ってほしいからと。
義母は今のところ元気だがもう年なので、いつ死んでもおかしくはない。
遺影を用意しておくのは非常識ではないだろう。
そういえば、僕の両親は生前の写真が少なく、どちらの遺影もスナップ写真を引き伸ばしたイイカゲンなものだった。その反省もあるので、義母が生きているうちに遺影用の写真を撮っておくのは賛成だ。
病室で運よく義母は起きており、僕はカメラを構えて「こっちむいて」とスタジオアリスのカメラマンよろしく愛想よくシャッターを押した。
義母は僕や女房が誰なのか分からない様子で、全く無表情だ。
恥ずかしいでもなくカメラを向ける男を不審に思うでもなく、こちらを向いているのにこちらを見ていないその目は、信号待ちで車道の向こう側にいる人のようだ。笑顔は作れそうにないので、とりあえず正面を向いた顔を押さえた。撮った写真は遺影というより、警察の証拠写真のようになってしまった。
女房が「一緒に私も撮って」と義母の横に立った。
そんなことを言うとは少し驚いたが、二人を写真に収めた。
しかし全然親子に見えない。
普通親子を撮った写真はどんなに下手でも、説明抜きで親子を感じさせる空気感があるものだ。僕の撮った写真は、ただ婆さんとおばさんが写っているだけの意味のない光景だった。
帰宅して女房に「写真見る?」と聞いたら「別にいい」と言われた。
たぶん今日、女房は義母に別れを告げたのだろう。