「職を転々」から「移働家」をめざして
パイロットで動いておりましたが、いろんな場所でいろんな仕事をしていく「移働家」の活動を本格的にしていくことにしました。
いまは3つのライターのお仕事とWi-Fi設定のお仕事を自分のペースでやらせていただいてます。
https://coinlocker-shiori.com/author/kenfm0411/
https://nishimag.com/writers/kenfm0411/
https://www.ikkanrou.co.jp/kobezine/010/
まさか自分が複数のお仕事をやらせてもらえるようになるとは…。感謝しかないです。
そして2年前の6月に適応障害と診断されてから、よくここまで来れたなと。
「外に出て人と話す」「新しいものに触れる」が自分の原動力
1月後半から2月はめちゃくちゃ動いたのですが、「外に出て人と話す」「新しいものに触れる」ことがとっても楽しくて、それが自分の原動力だったことに気がつきました。
岡山、神奈川、広島、沖縄、東京、愛知、熊本、鹿児島。
やっぱり楽しい。ずっとこうしてられたらいいのに。
「職を転々とする」をポジティブにすることが自分を肯定することなんじゃないか
適応障害になる前の仕事も長続きしなくて、唯一7年続いたのはいろんなところでプレゼンしたり人と話したりする仕事。
それ以外は窮屈過ぎて全然ダメで、ニュースとかでよく聞く「職を転々とする」という悪者のレッテルみたいな言葉がぴったりでした。
そんなマイナスイメージしかない「職を転々とする」という言葉をポジティブにとらえて、いろんなところでいろんな仕事をする「移働家」という肩書きにすれば、社会に不適合な私の今までをも肯定できるのではないかと。
移動が好きな自分にもぴったりだと思いました。
切羽詰まっても「動いてみる」「声をあげる」
ここ数ヶ月切羽詰まりまくっていて、ひとつ問題が解決したらまた新たな問題が発覚して、そのたびにしんどくなって、1週間に2回心療科行って薬増強してもらうこともあり、予断は許しません。
それでも実際に体験してみて、やってみてわかることは本当に多くて、実際に動くこと、声をあげることって本当に大事だなと思います。
いまできてる仕事は動いたり、声をあげたりしたことで得られたものでもあるので。
自分の思考の歪みが自分やまわりをおかしくすることもあるのかもしれない
あと最近思うのは、自分が思ってる以上に自分がマイナスに捉えてることが多いこと。これも他の人や心療科の先生と話すことで理解できたことです。
適応障害はもちろん環境も原因になりうるし、その場合はいち早くそこから逃れることが大事ですけど、意外と自分の考え方やとらえ方が自分やほかの人に大きく作用ししんどい環境を自らつくっていることもあるのかもしれないと思うようになりました。
そう思えてもまだまだマイナスにとらえてしまうことは多くて、心療科の先生曰く「もしもとに戻るとしても5年から10年はかかる」と…。
完全に払拭はできなさそうですが、「動いてみる」「声をあげる」ことで少しでも改善できたらいいなと思っています。
いろんな場所で複数の仕事ができてても「移働家」を目指す理由
複数の仕事やらせてもらって、いろんなところへ行って仕事ができてるならもう「移働家」でいいとは思うのですが、きちんと生活ができる収入を得られるようになってはじめて名乗れると思ってます。
ギリギリいやもう割とアウトなところを強めの薬飲んでなんとか対処してやっている感じです。
「移働家」としてできそうなこととして、いろんなところでいろんな仕事を体験したことを書いていくことはもちろんなんですが、私みたいな人がどこでしんどくなるのかとかを雇う側の人と話せてそれをオープンにできたら、私と同じように仕事が続かない悩みを抱えている人が長く仕事ができたり、長く仕事ができなくても自分のできることで活動していけたりすればいいなと。
パッと思いついたことを書いてるだけなので、どうなるかはわかりませんが、とりあえずは生活がきちんとできるように頑張っていきたいです。