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カセット・テープに十曲、コンピレーション・アルバムを作る(二本目 洋楽②)

A面
アイ・オブ・ザ・タイガー
ミスター・ロボット
ステイ・ゴールド
ステイト・オブ・ショック
ジャスト・アナザー・ナイト

B面
サム・ライク・イット・ホット
007/美しき獲物たち
サン・シティ
エレクション・デイ
ジャンピン・ジャック・フラッシュ

■コンピレーション・アルバム 洋楽②
中学生、高校生の六年間が1980年代、そのような立場から当時、好きだった最新の洋楽十曲でコンピレーション・アルバムを作ってみたくなりました。1982年の中学一年生から1987年の高校三年生の六年間、年毎に一、二曲で構成したいと思いましたが、1982年が一曲、1983年が二曲、1984年が一曲、1985年が五曲、1986年が一曲、1987年がゼロ曲という結果になりました。バランスが悪いですがここは気にしないことにしました。結果的に最後の曲がその位置に相応しい曲が置けたことに満足していて、1985年のデュラン・デュランとそれに付随したプロジェクトの活躍を示すには仕方がないと納得、また、ライブエイドがあった年として1985年を印象付けたことにもなったので良かったです。目立っていなかった1980年代のローリング・ストーンズですが、やはり、ファンとしてミック・ジャガー、キース・リチャーズが絡む曲が三曲も入っているのは自身のことながら納得です。一般的には1980年代はマイケル・ジャクソンの時代だったのかもしれませんが、僅かながらそれも示せて良かったです。とは言え、体感として1980年代はデュラン・デュランの時代だったと認識していて、なんとなく、忘れられていることに抵抗を示したかったコンピレーション・アルバムになりました。尚、前回に続いてローリング・ストーンズの曲は意図的に除外、合わせて同じバンド等は被らないようにしました。また、前回のコンピレーション・アルバムがロックよりの選曲で今回はポップスに寄せた選曲になりました。

「アイ・オブ・ザ・タイガー」
「アイ・オブ・ザ・タイガー」はサバイバーの1982年のヒット曲です。シルベスター・スタローンが主演した「ロッキー3」の主題歌でビルボード一位を六週連続のキープ、結果、グラミー賞の最優秀ロック・パフォーマンス部門を受賞、それらも納得の名曲です。緊張感のあるイントロ、直ぐの転調は静かな闘志が滲み出ていて映画の世界観を示していました。当時、中学一年生で部活動の試合の際はこの曲で気分を盛り上げていた記憶が微かに残っています。映画はプロレスラーのハルク・ホーガンが主演、それもまた後押しになっていたのかもしれませんが、わたしたちの世代は洋楽等、ロックを聴くきっかけの一つとしてプロレスはよくあるケースでした。ブルーザー・ブロディの入場曲は代表例、個人的にはスタン・ハンセンの入場曲が好きでした。検めるとロックのスピリッツとしての魅力もプロレスは関係が深かったことを思い出します。当時、長州力のファイト・スタイルの変化を革命に例えられていましたが後でセックス・ピストルズを知った際に重ね合わせたのは長州力でありました。でも、ビートルズとローリング・ストーンズをジャイアント馬場とアントニオ猪木に結びつけるまでには至りませんでしたし付随してエルビス・プレスリーを力道山に重ねることもしませんでした。

「ミスター・ロボット」
「ミスター・ロボット」は1983年にヒットしたスティクスの代表曲です。スティクスはプログレシッヴ・ロックに位置付けられていて、この曲もダイレクトにそれを示す曲でした。ミステリアスな雰囲気で探究心を誘導、当時、中学二年生だった立場からするとSFが絡む曲等に惹かれるのは自然なことだったのかもしれません。わたしたちの世代は小学生の頃に「UFO」等ヒット曲を持つピンクレディが人気、それと似たような心理が働いて好きになった「ミスター・ロボット」でもありました。合わせて日本語が一部、使われていたことも要因の一つ、テクノ風な加工でドウモアリガトウ、ミスター・ロボットと歌われていたのは面白かったです。プログレシッヴ・ロックとテクノの相性は良かったことを示す曲だったのかもしれませんが、イエロー・マジック・オーケストラが流行っていたこともこの曲のヒットに繋がっていたのかもしれません。日本語が使われていたことに関しては後にカルチャー・クラブも日本語で一部を歌っていました。面白いのはt.A.T.u、ドタキャンで有名ですが、ゴメンナサイと歌っています。曲のタイトルもそのままですが、謝罪ではなくて語感の良さから採用した曲らしいです。

「ステイ・ゴールド」
「ステイ・ゴールド」は1983年に日本で公開された「アウトサイダー」の主題歌、スティービー・ワンダーの曲です。当時、シングル・レコードでの発売はなかったと思いますが、ラジオで紹介された際に録音、フル・タイムではなかったのほ残念ですがそれを繰り返してよく聴いていました。1990年代にコマーシャルで使われてシングルCDで発売、以降、スティービー・ワンダーのベスト・アルバム等で気軽に聴けるようになりましたが、それまでは幻の曲のような存在でした。静かな曲でハーモニカが印象的、それに誘導されていつか見た夕焼けみたいに懐かしさが込み上げてくる曲です。今でも夕焼けを見ると思い浮かぶ曲の一つ、歌詞も良いですが映画の内容にぴったし一致、動画でも確認できますが胸がいっぱいになります。スティービー・ワンダーはこの曲の後に「心の愛」がヒット、この曲も良かったですが「ステイ・ゴールド」の面影を追いかけるような気持ちで聴いていた「心の愛」でした。「アウトサイダー」はSMAP の木村拓哉の好きな映画としても知られています。SMAPのバラエティ番組にスティービー・ワンダーが主演、「ステイ・ゴールド」を歌い木村拓哉を狂喜させていました。

「ステイト・オブ・ショック」
「ステイト・オブ・ショック」は1984年にジャクソンズが発表した「ヴィクトリー」からのシングル、マイケル・ジャクソンとミック・ジャガーのデュエット曲です。最初から最後までギター・リフの連続、良好なアクセントがジャクソンズの誰かの低い声でのささやきでありました。音を詰め込まず意図的に減らしているのが特徴、ギター・リフが鮮烈に聴こえます。冗談みたいな音の減らし方で目立つ曲ですが、後のプリンス&ザ・レボリューションの「KISS」やジョージ・マイケルの「フェイス」を連想させられます。輪郭がはっきりとしていて風通しの良いのがこれらの共通項ですが、さかのぼるともっと大胆な音の減らし方をしているのがクィーンの「ウィ・ウィル・ウィズ・ロック・ユー」でした。そして、「ステイト・オブ・ショック」は元々、フレディ・マーキュリーとマイケル・ジャクソンの共作から始まり代わりにミック・ジャガーが引き継いだらしいですが、何気に三人らしさや特徴が出ていて面白いです。あのギター・リフは誰が考えたのかを推理して楽しんでいますが、キース・リチャーズらしさは感じられないことから、なんとなく、ミック・ジャガーと思っています。リズムは「ウィ・ウィル・ウィズ・ロック・ユー」に似ているような気がしますし、弾ける音の示し方や心地良さはマイケル・ジャクソンらしさが表れています。曲も良いですが探究心を誘導する楽しさも魅力的です。

「ジャスト・アナザー・ナイト」
「ジャスト・アナザー・ナイト」は1985年に発表されたミック・ジャガーのソロ・アルバム「シーズ・ザ・ボス」からの先行シングル曲です。当時、中学三年生でようやくローリング・ストーンズを聴くようになった矢先のミック・ジャガーのソロ活動、言わば初心者の立場からでもローリング・ストーンズと明らかに異なっているのが理解できる「ジャスト・アナザー・ナイト」でした。曲の終わり近くに銃の連射や感電を想像させる音が加えられていて良好なアクセントになっています。全体的に感傷と求愛が入り混じるような哀愁が滲み出ています。例えるなら甘めのコーヒー、ただ、アルバム自体はコーヒー感が薄くミルクの味が強めな仕上がりになっていて大変、がっかりさせられました。プロデューサーや関わったミューシャンは実力も実績もあってローリング・ストーンズと明らかに異なっていて筋道としては間違ってはいないですが、上手く噛み合わなかったアルバムでした。個人的には言葉が悪いですが期待外れのアルバムの代表例が「シーズ・ザ・ボス」です。付随して偶然にもアルバムのテーマと一般の評価がシンクロしていて皮肉でもありました。

「サム・ライク・イット・ホット」
「サム・ライク・イット・ホット」は1985年に発表されたパワー・ステーションの代表曲、合わせて「ザ・パワー・ステーション」に収められていて先行シングルになる曲です。当時の洋楽、その中心に位置付けられていたのがデュラン・デュラン、そのメンバーのアンディ・テイラー、ジョン・テイラーのプロジェクトがパワー・ステーションでした。時代はキーボードを求めているような雰囲気、アンディ・テイラーはギタリストでデュラン・デュランの音楽性に不満があったのかもしれないと個人的には解釈していますがどうでしょうか?ただ、「サム・ライク・イット・ホット」はギターが全面に押し出されている感じではなくてリズムを強調、ベーシストのジョン・テイラーが加わっているのは納得です。ボーカルはロバート・パーマー、この機会に後のソロ活動も話題になりました。アルバムにはT.REXの「ゲット・イット・オン」が収められていて後にシングル・カット、デュラン・デュランのルーツを確認する機会にもなりましたが、グラム・ロックの煌びやかさはデュラン・デュランのイメージと一致していて納得です。当時、高校一年生でしたがロックの探究心が強かったことも重なり印象に残るパワー・ステーションでした。

「007/美しき獲物たち」
「007/美しき獲物たち」はタイトルが示すように1985年に日本で公開された映画の主題歌、デュラン・デュランの曲です。メジャーな映画の主題歌でデュラン・デュランの当時の人気を再確認させられます。しっかり007のテーマ曲の要素も取り入れていて納得、全体的にミステリアスで緊張を誘導、加工も施されていて興奮もさせられます。アンディ・テイラーのエレキ・ギター、ロジャー・テイラーのドラムも目立っていました。それらと同時にストリングスの音、これが緊張感を高めているのかもしれませんがメンバー五人の役割が機能的に働きかけているような気がします。翌年に三人になってしまうデュラン・デュランしたが結果的に最後を飾る相応しい曲になりました。映画用に作られた曲でオリジナル・アルバムには未収録、同様だったローリング・ストーンズの「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」みたいに希少性も高かったです。アメリカ、イギリスで大ヒット、先の件も幸いして日本でも高セールス、友達もシングル・レコードを買っていました。映画は七月に日本で公開されてライブエイドで盛り上がった夏を後押しする曲でもありましたがアメリカ会場で一番の声援を浴びたのがデュラン・デュランだったそうです。

「サン・シティ」
プロジェクト名はアパルトヘイトに反対するアーティストたち、「サン・シティ」はそれらによって1985年に発表された楽曲です。現在ではジャンルの多様化が進みミックスチャー・ロックと呼ばれることも定着、その言い方がされる以前、記憶を辿ってみると個人的には「サン・シティ」が一番最初のミックスチャー・ロックだったと思います。この頃、ヒップ・ホップやラップが表面化、リミックスのレコードも流行っていて、それらの影響が色濃く反映されている曲です。合わせて従来のロック、ジャズ、更にレゲエも加わり良い意味でカオスな曲になっています。アフリカという土地も深く関わっているので民族音楽のリズムも感じられます。ライブエイドやUSA・フォー・アフリカの後になるプロジェクトで影に隠れてしまっていますが音楽的には斬新で個人的には「サン・シティ」のほうが好きでした。やはり、趣向として穏やかな曲よりも自然に身体が動き出すような曲を求めてしまうので「サン・シティ」を推しますが実験的なことも好感触でした。あまり好まない実験的という表現、つまり、それが成功していない場合もあるからですが「サン・シティ」は大成功、喜怒哀楽で示すと怒が全面に出ていて痛快でもありました。

「エレクション・デイ」
「エレクション・デイ」は1985年に発表されたアーケイディアの楽曲、アーケイディアはデュラン・デュランのニック・ローズ、サイモン・ル・ボン、ロジャー・テイラーのプロジェクトです。パワー・ステーションに対抗して作られたようなそれですがパワー・ステーションほど話題にならなかったです。また、セールス的にも大ヒットまでには至りませんでした。とは言え、流石にデュラン・デュランらしさがダイレクトに感じられて個人的には好きでした。気怠いけどカラフル、この組み合わせが新鮮、同時期にペット・ショップ・ボーイズの「ウエスト・アンド・ガールズ」がヒットしていましたがそれと感触が似ています。怪しげでトリップ感や中毒性もありますが、なんだか、日曜日の午前中の気分とこの曲のテンションが似ています。脳裏には微かな月曜日の憂鬱、束の間の安らぎに安堵しているような雰囲気が感じられます。そして、曲名は選挙の日、だいたい日曜日に投票に行きますが、その時の気分はこの曲のような感じでレアな行為に微かな興奮と煩わしさが混在していてはっきりしません。捉えどころのないあやふやさが「エレクション・デイ」の特徴で呪文のようね歌声に不確かさを誘導させられます。

「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」
「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」は1986年に発表されたアレサ・フランクリンの曲、同名の映画の主題歌でシングルにもなりました。ローリング・ストーンズのカバー曲でプロデュースもキース・リチャーズ、ギターも本人が弾いています。アレサ・フランクリンはピアノも弾いていて力強い歌声を披露、いくらかオリジナルよりもテンポを落としているのでその分、力強いのかもしれません。付随してローリング・ストーンズのライブ盤の中には観客の興奮を抑える目的でテンポを落としている場合もありますがアレサ・フランクリンの場合は元々の素材を活かす為にそのようにしているのかもしれません。やはり、ギターの独特の間や癖はキース・リチャーズらしくて興奮します。アレサ・フランクリンは1960年代、1970年代に活躍したイメージがあります。1980年代とアレサ・フランクリン、そのように考えるとどこか違和感がありますが「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」は上手く噛み合っていてコンテンポラリーという表現がしっくりとくるような相性を示していました。大ヒットまでには至っていないのは仕方がないような気がしますがアレサ・フランクリンは後のジョージ・マイケルとのデュエット曲がヒットしました。




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