父と息子のアフリカ史#0
2024年9月2日 午前0時
なんやかんや、チケットは取り、
昨日、と言うか今日、父親と話して、大使館の方と連絡を取り合ってもらい、明日大使館にビザ申請書類を出しに行ってきます。
今日父親と話していて、久々に高揚感を覚えた。
人に言うものでもないけど、僕は親とそこまで仲がいい訳ではない。
家族とはいえ、親子で生き方が一緒になる訳ではないし、親の望んだ道を歩めているとは言えないのはわかっている。
いや、もしかしたら僕が知らないだけで本当は一緒なのかもしれない。だから、互いに干渉してぶつかるのかもしれない。
初めての一人暮らしも、僕が半分強行で部屋を決めて、引っ越し前日に紆余曲折で喧嘩して出て行ったくらいだ。
そんなこともあったのに、
今日実家に帰って、10年ぶりにナイジェリアに行くワクワク感とその予習をしている話を親として、久々に親と高揚感を共有ができた気がした。
そんな親との会話をシリーズ化して、noteにできたらいいなと思い、今書いています。
特に、ジャジャの話は面白かったな。
同じイボ族としてか、反英感情なのか、親父も熱が入ってたなぁ。
決して表立って語られない、本音と建前が歴史にはあるんだなぁと改めて考えさせられたし、話していて楽しかった。
しょっちゅう実家に帰る友達の親子の様子とかを見ていて、たまに羨ましく感じる。
だからこそ、こうやって親子で楽しく会話できることは貴重なことだと思うし、今回の旅行みたいなきっかけを大切にして歩み寄れたらいいのかなと思う。もちろん、これからも難しいことはあるだろうとは思うが、記録に残して親父との会話を増やしていけたらいいのかなとは思う。
2024年9月24日 午前8時
フライトの搭乗ゲートオープンを待ちながらふと昔の記憶を思い出した。
小学生の時、放課後の校庭でクラスメイト何人かでサッカーをしていた時のことをふと思い出した。
ちょっとしたファールを友達に対して僕がしてしまい、その子は膝から血を流してしまった。
謝ったが、彼は無言で、他みんなは血が流れている様子をみんなで囲んで見ていた。
そして、その子がついに僕を見て一言、
「痛いっな‼︎ナイジェリアへ帰れ!」
僕は許してもらうことに必死で、その時は何も感じなかったし、友達はそれを聞いて大爆笑していた。
帰り道、その一言は、特に傷ついたわけではないが、何回もエコーがかかって頭の中で再生された。
多分、その時初めて自分は日本人のつもりでも周りからすると僕の帰るところは日本じゃないと思われていると気付かされた。
今、考えると多分そんな学生時代を見かねて、親父は何回かナイジェリアに連れて行ってくれることがあったのだと思う。
金はかかるし、借金ばっかなのにようやるなと思うし、厳しいけど優しかったと思う。
昔のことすぎて覚えてることは少ないが。
僕は親父の実家や育った環境について何も知らないし、僕の地元は東京の片田舎です。
だけど、今日10年ぶりに親父の地元に1人で帰ってみます。
まさか、26になって小学校の記憶を旅行前に思い出すなんて、生きていると不思議なこともあるなと思う。
帰って親父の記憶を自分なりに遡ってみようと思う。
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