言葉の取捨選択
かけてもらう言葉を一つ一つ吟味して受け止めようというお話!
暑くなってきて、梅雨真っ最中の今日この頃です。
気づいたら炎上案件に巻き込まれていて、心労もあってか週末は外にも出ずひたすら家に篭りながら、途中まで観ていた「Braking Bad」と読んでた本を往復しています。
(もちろん、そうしていると何時間かに一回は平日を思い出して、急いでモニターでコードを表示して読み返したりします。炎上はまた次の記事で書こうかなと思います。)
まあ家事も残タスクもあるし、でも家で休みたいし、みたいな調子で数週間過ごしていました。
そうこうしていると、何人かから「元気?」とラインをいただきました。
なんてことないメッセージだし、ラリーが続くわけじゃないけど、嬉しかったです。
何人かは企画してどこか出かけようと言ってくれたり(最近ジジイになったのか腰が上がらず断ったんですけどね)、たまにはラインしてと怒る人もいました。が、しかし、かけてもらえる言葉一つひとつが嬉しかったんです!!!
連絡をしてくれる人が幸いなことに今いるということを、心に留めておくことで周りに対して敬意を払った言動、心遣い、心配りをしていきたい。
そうして、改めて半径5メートルの人たちから大切にして、知らないどこかまで波紋していけばいいなと思う。
その反面、人が人にかける言葉は、案外自分への暗示のために言うこともあるのかなと思うんです。
自分の治さなきゃいけないとわかっている部分を人にも見つけると、
ダメだと強くわかっているからこそ言葉が強く出てしまうことがあるように。
自分もできていないから、他の人も許してあげるのが道義のはずなんですけど、真面目だと余計強く当たっちゃうことはあると思うんです。
でも、そういう言葉や注意は生きる目標や状況が違えば、その言葉を受ける側にとってすれば全く意味がなく、ただただ心許ない言葉になるわけです。
別に真面目に強く当たってしまうことが悪いことだとも思っていないです。だから、人の言葉で傷がついてしまう状況に直面すると、誰かを簡単に責めることもできず息苦しくなることがあります。
特に仕事をしていると、同じ目標に向かって働いていると勘違いして人のミスを強く指摘する人がいたり、それを重く受け止めすぎてある日突然飛ぶ人もいるのはそういうことだと思うんです。
所詮、人はみんなどこかに利害の一致があったから一緒に働いているはずなのに!
でも、人から受ける言葉には冒頭で話したように嬉しい言葉もあるし、ちょっと厳しくとも励みになる言葉もある。
人付き合いなんて面倒なことがほとんどなのに、たまに、たまらなく言われて嬉しいこともあるから人との会話は厄介だと思います。
つまり何が言いたいかというと、かけてもらう言葉を一つ一つを吟味して、自分にとって価値のある言葉は心に留めて大切しておき、心許ないものは素早く受け流そうということです。
そして、自分も人に対して発する言葉がその人に受け入れてもらえるように、話す前後で確認して質を上げたい。
多分、「言葉の取捨選択」というのは自分を守り、人を支えることなのだと思います。
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