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Twitterを眺めていたらこんなツイートがされていました。


これを見たとき非常に違和感を覚えました。
なぜなら、過去を見ているからです。

高校まで野球をやっていた私はこのツイートに非常に興味を持ちました。

果たして当時一生懸命やっていた自分にこういう言葉が言えるか。
私は当時を後悔は全くしていません。

しかし試合に出ていたわけではありません。

万年補欠、いや補欠にもなれませんでした。

人によってはちょっと人生無駄にしたかな、こうしたツイートのような『勉強に力を入れれば人生違ったかな』と思う人もいるはずです。

勿論、外野からみればそうした特に試合に出れないような人は違ったところで輝けばいいのにと思う気持ちもよく分かります。 

当然他の方の意見を否定するつもりはありません。

試合に出れない時点で力がないことは明らかです。
それが分かった地点で他の道にいくのがスマートなやり方なのは分かっています。

最近こんな本を読みました。

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為末さんはかつて100mの選手だったそうです。

当然、最初は同学年のなかでも好成績を収めていたようですが、ある時当時の先生の指導が原因でハードルという競技に専念しています。

その指導は、大きな大会へのエントリーをしなかったというのです。当然本人は出る気でいたのに結局先生の意見が通ったそうです。

なぜ先生は出さなかったか、それは勝てないと踏んでいたからです。

つまり、簡単にまとめてしまいますが勝てないものをずっとやってもしょうがないでしょ。諦めるのは決して悪いことではない。勝てるところで目標に向かってやればそれも選択肢の1つです。ということを述べられています。

話しは戻りますが、たった高校3年間はたとえ勝てなくても、私はやる時期だったと今でも思います。

違う道に行くのは、決してそれからでも遅くはありません。

もちろん競技で新たにトップになるのはかなり難易度高いですが、何もスポーツで1番になることが目標のすべてではありません。

なので大事なことは、小さいころからとにかく色々やることだと私は思います。その中で周りの目と親の判断を間違わないければある程度の方向にはどのスポーツも行くのではないでしょうか。

高校にまで野球をする人はある程度、かつての中学校内では比較的うまい部類に入っているからこその高校野球です。

そういった人達に、勉強のほうがよかったなんて、当事者であれば口が裂けてもいえません。

そうした過程、練習、小さいころからの積み重ねなど見ていているからこそ言えることです。

何度もいいます。決してあの時間は無駄ではないし、後悔もしていません。

そしてDr ゆきさんの意見も決して否定しているわけではありません。




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