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思い出し日記②〜適応障害1ヶ月目〜

自分で心療内科に行った癖に、診断名と3ヶ月の休養を言い渡されるとどん底に落ちた気持ちになった。
あとは疑いの気持ち。
本当はそんな病名なんてつかないくらいの一時的な気分の落ち込みにすぎないのでは?とわりと3ヶ月くらいはずっとそう思ってた。

診断されて最初の1ヶ月はほぼ寝てたと思う。
あんまり記憶がない。お腹は空くからご飯は食べていたけれど、寝てるだけなのにお腹がすいてご飯を食べてしまうことに罪悪感を感じていた。

もともと約束していた予定には可能な限り行った。
約束を破ったらますます自分が嫌いになりそうだったし、別にそんなに深刻な病気じゃないと思っていたから行った。
でも結局、「仕事休んでるのに人に会いに行くのかよ、サボって遊んでるだけじゃん」と脳内の自分が言ってきて、自分が嫌いになった。
どっちにしろ嫌いになるんかい!

仲の良い友達に会った時一番最初に、お前どうした?大丈夫?と心配の声をかけられた。
適応障害と診断されたことを言った。
友達は職業柄、精神疾患の方と接する機会が多いこともあってか、または長い付き合いだからということもあると思うが、見ただけで様子がおかしいことがわかったと言っていた。
すごい。
ゆっくり休んでと言ってくれた。

部署の違う会社の先輩にも会った。
これはかなり行きたくなかったが、何かアドバイスがもらえるかもしれないと思い、頑張って行った。
辞めることも考えていると伝えたところ、もう少し待ってほしい、部署異動が出来るようにかけ合ってみるよと言ってくれた。

診断されてから1ヶ月は仕事に戻ることばかり考えていた。
病院の先生にいつ戻れるかばかり聞いていた。
が、実際戻ることを考えると具合が悪くなった。
もしかしてもう仕事に戻れないのでは?と思ってきたのがちょうど1ヶ月すぎた頃だった。

先輩に異動の話をされたあと色々考えたが、そもそも私が「臭いものには蓋をする」「長いものには巻かれろ」「女は黙ってろ」「これまでのやり方が一番いいに決まっている」な社風?文化?に合っていないため、部署を異動したところでまた同じことになるだろうという結論に至った。

先輩には申し訳ないし、これまで良くしてもらった方々にも大変申し訳ない気持ちだったが、辞めることを決意した。

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