大塩平八郎

大塩平八郎

最近の記事

思い出し日記⑥〜おわり〜

適応障害がキッカケで自分を見つめ直すことができた。 ④であげた、反省点を改善すべく毎日心がけている。 が、治そうとすればするほど、自分で自分を否定しているような気持ちになりそれもまた苦しい。 一体どうすればいいんだろうか…と毎日悩んでいる。 何にも考えないことは私の気質的に難しい。 約30年生きてきた中で出来上がった癖は、そう簡単には変えられない。 けど、より善く、心の平静を保って、心地よく生きるために、自分を変えていこうと思う。 適応障害になって、人生の壁にぶち当たって

    • 思い出し日記⑤〜色んな変化〜

      適応障害になって変わったことをあげていく。 ①体重 これが一番しんどいのだが、5、6キロ太った。 もともと太いのだが、さらにパンッパンになった。 ランニングどころか、過食に走っていたためである。 この時期、会うたびにデブいじりと痩せマウントをしてきた友達のことを許せず疎遠になった。 30にもなってデブいじりで半泣きになるとは思わなかった。小学生かよ、笑える。 3月から新しい職場で働き始めたところ、現在6キロ落ちて元の体重に戻った。 もう少し痩せてくれてもいい。 ②キラ

      • 思い出し日記④〜反省点〜

        退職後、3月から新しい職場で働き始めた。 10月から2月末まで5ヶ月も休んでいたため、かなり不安だった。 新しい職場の同僚達は、心に余裕があり、とても寛大で穏やかだった。 誰かを責めるようなことや罪をなすりつけることはしないし、みんな一生懸命に真面目に不正をせずに働いていた。 休職していた期間、これまでの自分の働き方や立ち振る舞いを反省して、何が悪かったのか分析していたのだが、新しい職場の同僚の働き方を見て、さらに自分のダメだったところが見えてきた。 以下反省点 ・全て

        • 思い出し日記③〜環境を変えてみた〜

          新卒2年目ですでに一度転職をしており、転職活動が面倒なことはわかっていた。 また転職かぁと思った。 一社目と二社目は同じ業界だったが、もうこの業界では働きたくないなと思ったので違う業界に挑戦してみようと考えた。 これまでは好きなことを仕事にしたら好きではなくなってしまうかもしれないという恐怖からしてこなかったが、やってみようと思った。 ずっと興味のあった業界に進んでみることにした。 一般的には、低賃金で、サビ残当たり前で、まぁまぁ肉体労働で、休みが少ない業界だ。 しかし私は

        思い出し日記⑥〜おわり〜

          思い出し日記②〜適応障害1ヶ月目〜

          自分で心療内科に行った癖に、診断名と3ヶ月の休養を言い渡されるとどん底に落ちた気持ちになった。 あとは疑いの気持ち。 本当はそんな病名なんてつかないくらいの一時的な気分の落ち込みにすぎないのでは?とわりと3ヶ月くらいはずっとそう思ってた。 診断されて最初の1ヶ月はほぼ寝てたと思う。 あんまり記憶がない。お腹は空くからご飯は食べていたけれど、寝てるだけなのにお腹がすいてご飯を食べてしまうことに罪悪感を感じていた。 もともと約束していた予定には可能な限り行った。 約束を破った

          思い出し日記②〜適応障害1ヶ月目〜

          思い出し日記①〜適応障害になったこと〜

          書かないと忘れそうなことや、その時の自分の気持ちを日記にしてみようと思う。 あとから見返した時に自分を分析するツールになればいいなという気持ちから。 ここ近年のビッグニュースは、いくつかあるが、ひとつは適応障害になったこと。 今ではとてもいい経験になったと思っている。 2023年の10月2日に突然会社に行けなくなってしまった。なぜか微熱が出ていた。 もうずっと会社には行きたくなかった。2023年の4月から行きたくなかった。 行きたくなさすぎてストレスで免疫が落ちてコロナに

          思い出し日記①〜適応障害になったこと〜