ノーベル賞・眞鍋さんの英語と思考
10月5日に、愛媛県出身の眞鍋淑郎さんが今年のノーベル物理学賞を受賞したという吉報が日本に飛び込んできました。
眞鍋さんは二酸化炭素の排出が地球温暖化に影響を与えるという今では常識になっていることを研究して世に広めた人物であると言えます。
私には物理学や気象についての詳しくについては全く未知の世界ですが、私が今回このニュースで驚かされたのは眞鍋さんが会見で流ちょうに英語を話す様子と眞鍋さんの考え方についてです。
1-1 眞鍋さんの英語力
受賞が決まった後の会見で、眞鍋さんはインタビューでジョークも交えながら流ちょうな英語で記者の質問に答えていらっしゃいました。
眞鍋さんは1958年にアメリカに渡られ、アメリカ国籍も取得され、60年以上もアメリカで生活されていますので、ある程度英語が話せるのは当然なのかもしれません。言語学の世界でいうところの「L2環境(第二言語・ターゲットランゲージを使わないと生活できない世界)」に身を置かれていたわけですから。
しかし、眞鍋さんは御年90歳ということで、おそらく学校教育の中では"This is a pen."という文章をなんの疑いもなく繰り返して練習したり、アルファベットを何度も書いたり、現在の英語教育界隈では圧倒的に批判の対象になっている文法訳読法で英語を習った世代の方でしょう。いわゆる実践的な英語は学校教育では習っておられないはずです。
東京大学を卒業されており、頭の良い方であることは間違いないでしょうが、それにしても90歳の方がスラスラと英語を話している姿にはいち英語教員として尊敬の念を感じました。
眞鍋さんの英語は、失礼ながら決して発音が綺麗というわけではありません。いわゆる日本語英語の発音です。しかし、複雑な内容も難なく英語で話され、関係代名詞目的格の省略なども完璧に使われ、英語の文法的には完璧な英語でした。
1-2 眞鍋さんの英語から得られる示唆
眞鍋さんが英語で話すことから得られる言語学的な示唆は、以下のようなことが挙げられると思います。
1.アメリカという、ターゲットランゲージ(英語)を半強制的に使わなければならない環境、すなわちL2環境は、やはり言語習得には役立つということ。
2.臨界期(外国語習得のタイムリミットとされる年齢のこと。今の研究では13歳前後とされている)を超えてから海外に渡っても、外国語習得は可能であるということ。
3.2のように言えるとはいえ、眞鍋さんの娘さんは日本人の両親を持つにも関わらず発音まで完璧な英語のネイティブスピーカーであることから(眞鍋さんの娘さんもインタビューに答えていたが完全に英語話者だと思われる)、やはり幼少期の環境は第一言語が何になるかを決める決定的な要素になりうるということ。
大学で第二言語習得論を専攻した私にとって、眞鍋さんやその家族の話される英語は大変興味深く、勉強になるところが多々ありました。
2-1 眞鍋さんの考え方
眞鍋さんのニュースでもう一つ私の心に残ったのは、眞鍋さんが海外に渡った理由と生き方についてです。
以下、眞鍋さんがノーベル賞受賞に際して、アメリカに渡った理由についてのインタビューでの発言をWikipediaから引用したものです。
日本の人々は、非常に調和を重んじる関係性を築きます。お互いが良い関係を維持するためにこれが重要です。他人を気にして、他人を邪魔するようなことは一切やりません。だから、日本人に質問をした時、『はい』または『いいえ』という答えが返ってきますよね。しかし、日本人が『はい』と言うとき、必ずしも『はい』を意味するわけではないのです。実は『いいえ』を意味している場合がある。なぜなら、他の人を傷つけたくないからです。とにかく、他人の気に障るようなことをしたくないのです。アメリカでは、他人の気持ちを気にする必要がありません。私も他人の気持ちを傷つけたくはありませんが、私は他の人のことを気にすることが得意ではない。アメリカでの暮らしは素晴らしいと思っています。おそらく、私のような研究者にとっては。好きな研究を何でもできるからです。私はまわりと協調して生きることができない。それが日本に帰りたくない理由の一つです。
眞鍋さんはいわゆる日本の同調圧力を嫌い、自由な生き方が尊重されるアメリカに渡ったそうです。また、研究者として日本の大学よりもアメリカの大学のほうが圧倒的に研究費や報酬が支払われ、研究に没頭できる環境であったのが魅力的だったそうです。
2-2 眞鍋さんの生き方に思うこと
眞鍋さんの生き方もまた、私たちに色々なメッセージを投げかけていると感じます。
1.是か非かは置いておいて、日本は相手に合わせることを美徳とし、アメリカでは個人の思いや価値観が尊重される環境であることを我々に再認識させた
2.特に大学での学問において、アメリカは豊かな研究環境が整っていて研究に没頭できる環境であり、研究者にも能力に応じてそれ相応の対価が支払われること
特に2について、私もある意味英語を人に教えながら自分も学んでいるということで「研究者」の一人だと勝手に思っていますので、深く考えさせられるところがありました。
日本の大学は「入るのが大変で卒業は楽」と言われており、大学の入学競争が熾烈な代わりに、大学に入ってしまえば遊んで4年間を過ごす学生も多いものです。それでも卒業できてしまいます。恥ずかしながら私もそうだったかもしれません。
しかしアメリカをはじめとする海外諸国の大学はその逆だと言われています。しっかりと勉学に励まねば、簡単に卒業できないようになっています。
「大学=遊ぶところ」ではなく、「専門的な知識を身に着ける場所」と学生が認知しており、優秀な研究者を輩出しているのでしょう。そして教授たちにも良い対価と研究環境が提供されています。
「日本から優秀な人材が海外にどんどん流出している」と言われるようになって久しいですが、大学を取り巻く環境の違いも原因のひとつではないかと考えさせられました。
大学に生徒を送り出す高校教員として、大学が生徒やそれを導く教授にとって有意義な場であってほしいと思いますし、高校段階から大学教育につながるような授業や意識付けをしていきたいと思いました。
ノーベル賞の本筋とは離れたテーマでしたが最後まで読んでいただきありがとうございました!