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総合的な探求の可能性

「総合的な探求の時間」(以下、総合と呼びます)という授業を聞いたことがありますか?

最近まで学生だった方は、「総合学習」などの名前において中学や高校で授業があったかと思います。

では、総合で何をやったか覚えていますか? 私は、正直総合で学生時代に何をやったか全く覚えていません。かろうじて記憶にあるのは、模試の振り返りをしたり、大学調べをしたりしたことくらいです。あとは行事で潰れたりしてとにかく曖昧な扱いだった記憶があります。多くの方はそうなのではないでしょうか。

今日は総合の歴史やもたらすメリットについてお話していきます。

総合の歴史

総合は2000年頃に「総合的な学習の時間」という名目で小学校~高校において導入され、激しい変化の中で生きる力を身に着けるために、教科の枠組みを超えて生徒が課題解決をするなど主体的に学習に取り組むことを目的として始まりました。

新しい学習指導要領で「総合的な探求の時間」という名目に変わり、2022年度から本格的に全高校で導入されます。新たな価値を創造し、よりよい実社会の形成に取り組む態度を育成することが目的となっています。

非常に社会の状況を捉えた意義ある学びのように思われますが、客観的評価が困難であるという観点や、そもそも教員もどんなことをすれば良いか分からないという側面もあり、まだ定着していないのが現状です。

その結果として、総合はただの進路学習の時間であるかのように扱われて自習になるなど曖昧な扱いになっています。しかし近年、以下に示す私の前任校のように、総合を学校の中心的な学びに位置付ける学校も増えてきています。

総合の主担当となって


私は昨年4月、県内屈指の進学校だった前任校から、就職者が半分ほどいて学力もそれほど高くない学校に転勤になりました。その転勤先の高校で総合の学年主担当を任され、今年1年間の総合の計画立案・運営をすることになりました。

前任校は先進的で、総合を運営する専門の分掌があり、生徒が地元の大学生と連携して論文を執筆するなど活発な総合の授業が行われており県下でも注目を集めている学校でした。進学校でありながら教科の勉強に限らず、総合を含めて広い視野を持って学習に取り組んでいて、自分も価値を感じました。

一方、転勤先の高校(現任校)での総合の運営は、非常に大変でした。勉強が苦手な生徒が多く「学び」に対する意識がそもそも低いうえ、総合の意義が浸透していませんでした。初回の授業で生徒に言われた「総合って、スマホでゲームしたりとかなんでもしていい自由時間でしょ?」と言われた時のショックはいまだに忘れられません。

辛うじて1年間運営をやり切りましたが、生徒にどう総合の価値づけをするか、役立つ勉強だと思ってもらうかに課題が残りました。

ただこの現状は現任校の生徒や今まで総合を指導してきた先生に問題があると言いたいわけではなく、教育の世界全体(教員の端くれである自分も含めて)で生徒に総合の授業で得られる力を浸透させて来られなかったのが要因だと思います。

総合のもたらすメリット


では総合の学習を通してどんな力が得られるのかを自分の解釈としてお話します。生徒にはもちろん教員にもメリットが盛りだくさんです。3つに絞って書きます。

 ①学力では測れない生徒の持つ力が見える


教員の多くはある程度の学力のある人間ですから、特に進学校ではない学校へ行ったときに生徒の学力の無さや生活態度で生徒を判断してしまいがちです。

しかしテストの点は取れない生徒や教科の授業には前向きでない生徒でも、総合には前向きに取り組み、斬新な切り口で面白いプレゼンができる生徒がいます。生徒とすれば「勉強はできないけれど自分のプレゼンでみんなにほめてもらえた」という自己肯定感につながりますし、教員としても「この子にこんな力があったのか」と生徒の新たな一面を発見できます。

近年、大学入試においても学力でない部分で学生を受け入れる機運が高まっています。東京大学が推薦入試を導入したのも最近のことです。

勉強は得意でなくても、違う面での力を持つ生徒の進む道を総合は照らしてくれる可能性を秘めています。

 ②他者と協同する力が身につく


昨今の世界の状況により、テレワークなどで1人でも仕事ができる時代だからこそ、人と協力する力の重要性はより一層高まっているように感じます。

1人の力だけではなく、複数人が力を合わせて相乗効果を発揮することでより大きな価値を生み出すことができます。グループ学習を通して他者と合意形成を図る総合の時間は、コミュニケーション能力を含めた他者との協同能力向上に一役買っています。

 ③思考力と課題発見・解決力の育成


単純労働がAIに取って代わられようとしている現在、AIにできないのは課題を見つける力だと言われています。また、物事の本質を考える力も人間しか持ちえないと感じています。

総合の学習は、人間だけが持ちうる思考力を高めることにつながりますし、課題は何かを見極めその解決方法を自分で考える力を養うことができると思います。

総合の充実のために


学生として、また教員として数年間総合を体験してきた者として、さらに充実させるために必要だと思うことを最後に挙げます。

 ①校内体制の確立


先述したように、前任校では総合専門の分掌があり、学校全体で力を入れて取り組んでいました。しかし現任校のようにほとんどの学校ではそうではなく、担当に充てられた教員が教科・部活・本来の分掌に加えて総合の企画立案をしています。これでは総合の授業準備の質が落ち、生徒に良い授業を提供できず意義を定着させられないのは明らかです。

そもそも教科の授業すら準備が十分できない教員の状況はみなさんご存じかと思います。

職員数を増やし、総合専門の分掌を作ったり、担当になった教員の授業数や系統(行わなければいけない教科の授業の種類)を減らすことによって、十分な準備時間を確保できる体制が必要です。

 ②地域連携の充実


総合の実施アイデアの1つに地域との連携があり、これはとてもいいアイデアだと思います。教員はどうしても学校の中だけで生きてきた人間ですし、生徒も学生時代まではほぼ学校の中だけで生きている人間です。ですので地域にいる多種多様な人とのかかわりは、生徒の世界を広げてくれ、深い学びを提供してくれるでしょう。

市役所や地域の商工会など協力してくれる機関とタッグを組み、地域ぐるみで生徒の育成につながる総合になればいいなと思います。

 ③なんらかの評価体制


総合の歴史でもお話しましたが、総合の時間は教科のような数値評価ではありません。教員が所見のように文章で評価をするシステムです。

これにより、単位を出さないことが事実上不可能なため、総合の時間を遊んで1年間過ごした生徒と前向きに取り組んだ生徒が同等の扱いをされてしまいます。これについては、今年1年間まさにその状況を体験してきましたので歯がゆさを感じていました。

難しいと思いますが数値評価にするか、優秀な探求への取り組みだった生徒には校長から賞が贈られるなど外的モチベーションになるものも必要なのではないかと感じました。そしてそれが進学や就職に有利な条件になるシステムがあればなあと思います。

もちろん生徒が総合に意義を見出し内的モチベーションで頑張ってくれることが一番ですが、それが困難な学校の場合のやり方として何らかの評価方法の必要性を感じました。どなたかアイデアを授けていただきたいです。

まとめ


今、徐々に進化しつつある総合は、私の学生時代のそれとは全く異なっています。社会に出た時に必要となる能力を育成し、身に着けることができるような授業にシフトしつつあり、私個人としても非常に可能性を感じます。

一方で、教科指導に比べると比重を置くことが難しいため、もう一歩充実させきれない現状もあります。

体制が充実し、総合の時間が面白い、価値あるものだと気づいてくれる生徒と教員が増えていくことを願っています。4月から全学校で間違いなく総合が始まりますが、教育界のホットトピックになりますように。

今日も最後まで読んでいただきありがとうございました!