【5th ASPECT 】世にも奇妙なマルチエンディング物語
マルチエンディングとはマルチストーリーが、ひとつの物語に複数の結末を用意したことへ着目した言い回しである。コンピューターゲームが多様なゲーム性を獲得すべく採用した、ゲームデザインの手法だ。
というのが、現代的かつ一般的な理解なのだが然にあらず。
まず、マルチエンディングはコンピューターゲームの専売特許ではない。さらに、マルチエンディングが成り立つ状況まで含めねば、マルチエンディングの全体像を捉えたことにはならない。
では話を始めるとしよう。
マルチエンディング・サービスとセルフ・マルチエンディング・サービス
最初に確認すべきは、相手が自分にマルチエンディング表現を提供するのは、サービスだということである。
つまり、ゲームシステムのような事前にマルチエンディングと明示されるのは、「このゲームはマルチエンディングを体験できる。どうする?」という意味だ。すなわちマルチエンディング・サービスである。
本来は、物語の主題歌(テーマソング)におけるオープニングテーマやエンディングテーマが、「主題(テーマ) = 物語を構成する中心となる内容」を歌い上げ、ひとつの主題を打ち出すことに対して。複数の主題が成り立ち得ることへの純粋な興味から、複数のエンディングは紡がれねばならない。
一方、セルフサービスだと、自分の体験から個人的にマルチエンディングを見い出さなければならない。
例えば小説や映画の物語を鑑賞した時、登場人物や記念品、出来事の何に着目して物語を理解するかで、私やあなたの物語に対する解釈は分岐し、けしてひとつでは済まなくなる。
コンピューターゲーム以前・以後のマルチエンディング・サービス
芥川龍之介の短編。ある事件の真相を巡り、それぞれの登場人物が主観的な状況説明を繰り返し、結末が文字通り藪の中に消えていく。読者の数だけエンディングが残される摩訶不思議な逸品。
芥川龍之介「藪の中」を原作に、舞台は同じ芥川の「羅生門」から設定された、巨匠・黒澤明の映画。事実は人の数だけ真実を生み出していく。そんな逆説をあぶり出していく迫真の映像は圧倒的。
テレビ局の垣根を超えた実験番組の紹介。
ドイツ製作のテレビドラマ。二つのチャンネルで別々の視点からドラマを放送し、視聴者はリアルタイムで二つのチャンネルを見比べながら内容を把握していく。日本では日本テレビとTBSで放送された。
マーダーミステリーのボードゲーム。3〜6人のプレイヤーが全員容疑者の状況で、ランダムに与えられる犯人・犯行現場・凶器の情報から割り振られた役割を演じていく。誰が追う側追われる側になるかわからないのがポイントだ。1985年の映画版も、公開する劇場ごとに3パターンの結末が用意された。
世界初の観客が物語の行方を決められる映画「Late Shift」 - GIGAZINE
劇場でスマホのアプリからリアルタイムで主人公の行動選択をしていく。
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マルチエンディングが成り立つ状況とは
マルチエンディングが成り立つ状況とはなんぞや?についてだが、意思決定ゲームによるアドリブ・マルチエンディングと自由行動で発生するナチュラル・マルチエンディングがある。
アドリブ・マルチエンディング
ようするに、現在はRPGゲームと呼ばれたり呼ばれなかったりするRPGの原型。対人プレイオンリーのRPGならではの出来事だ。
複数人がある状況設定を共有し、いくつかの状況で意思決定をすべく会話し行動選択していく意思決定ゲームの中で、即興で結末を調整していくことだ。
ぶっちゃけ黒幕がこっそり入れ替わったり、大魔王からあっさり世界の半分を貰ったりするのだが、「アドリブっちゅうのはさあ、乗りがいんだか悪乗りだかわかんないギリギリのところを生きてるんだよ」。
RPG四方山話
今は昔。コンピューターゲームのテキスト・アドベンチャーやアクション・アドベンチャー、RPGのマルチエンディングを話題にすると、古参ゲーマーがRPGの四方山話をおっぱじめる時代が、まあそのあったりなかったりした。
古参ゲーマーがコメントしまくったRPGとは、コンピューター以前のRPGを指すテーブルトークRPGのことだ。日本ではコンピューターRPGがファミコン・ブームで知名度が爆上がりしたため、コンピューター以前のRPGをテーブルトークRPGと呼び分けるようになった。
RPGとはRole Playing Gameの頭字語 = Acronymで、役割を演じるゲームという意味だ。歴史上の出来事を追体験するウォーゲームや、神経症や依存症の心理療法であるサイコドラマ(心理劇)がゲーム化した遊びだ。
誤解を恐れずに言えば、そもそもの始まりはディベート(討論)やアカデミックディベート(教育ディベート)である。もちろんそのものズバリで、ある意思決定の妥当性をその時点の判断材料から鑑み、二者択一するのが目的だからだ。
そしてRPGゲームがRole Playing Game ゲーム(Game)と重ね言葉になるのは、RPGが頭字語のままゲームジャンルとして定着し、RPGっぽい内容だから「RPGゲーム」だと分類されるというわけだ。
例えば、進むのは前に決まっているのに前進じゃないとしっくりこないのとおんなじなのだ。この場合、どんな言葉を使っているかよりどんな言葉を使わないかで態度を示せばいい。
ナチュラル・マルチエンディング
古典的RPGのルールブックにはテストプレイをするため、シングルプレイ用のゲームブックが用意されていた。ところがどっこいゲームブックには愛読者がたくさん生まれ、書き手が読み手に語りかける独特な二人称の文体を活かした、オリジナル作品のゲームブックが作られた。
さて問題はエンディングの捉え方なのだが、複数の結末があるかどうかに関わらず、意思決定が失敗してやり直しになったら、まさしく「ナチュラル・マルチエンディング」が発生しまくっているのだ。それをエンディングと見做しているかどうかすら無関係に、マルチエンディングが成り立っている。もちろん全てのエンディングがひとつだと思われているゲームにも、だいたい当てはまるだろう。
ところで、ゲームブック的なものは他に何かあるだろうか?
当然ある。答えは簡単あら不思議! 辞書だ。稀稀(=ごく稀)に読破する強者はいるが、普通は自分が気になったところだけを読み、たまには知らない言葉に出会うべくランダムに開いたページを読んだりもする。時にはなんか思い出の一部とか全体になるし、学者が辞書でモンスターをフルボッコにしたことも少しはあった。
辞書が誕生してから現在に至るまで続き、この先も続くのだからもはや無限増殖だ。
さて、どうでしょう?
壁l・ω・) 壁l)≡サッ!!