
講師業~先生になるなんて考えていなかったところからの20年目~
大学卒業後、専門学校に進んで今のような仕事をさせていただいています。当時からずっと続いているのがチームや個人のトレーニングサポートや応急対応と専門学校での非常勤講師の2つです。
高校時代、大学時代から考えたら特に講師業は想像もしていなかったことなんですね。当時は正直何になりたいか、というよりも何をしたいかということばかりが強くて先のことなんて描こうとしていなかったなぁと改めて思います。てことでちょっと振り返ってみました。
まえがき
訪問ありがとうございます。
大学や専門学校で身体の仕組みに関わることや運動・トレーニングについて講義をしながら、運動部活動でトレーニングサポートをしています。
noteでは日々の雑然としたことや、スポーツ選手の体格に関わるデータをまとめています。
「先生」になりたくなくて選んだ進路だった
専門学校などでの非常勤講師、20年目が始まりました。色々な学校、色々な職種での活動をさせていただいています。長いところでは15年強お世話になっています。
同じく続けられている、トレーニングサポートはこの分野に興味が出始めたときに全く頭になかったかといえばそうではないけれど、講師業というか人前でしゃべったり教えると言うことには全然興味がなかった。
なんせ、先生になりたくないというか教免を取らなくていい学科を選んだわけなので。将来どうなるか、とかではなくて何をしたいか、それだけを通させてもらっていた頃。親には感謝しかありません。単なる甘ちゃん。
選んだ先がどうみても教員養成系の大学であることやカリキュラム的にそこまで負担がないところであったが故に、今も時々叱られ?ますし、免許を持っていないという事実を知らない方も多分多いです。
手段としてしか考えてなかった
ターニングポイントは専門学校時代。
そこで学んだ内容は、大学からやっている分野に近いもの。
正直余裕があって、その中で周りに少し教えるようなことはありました。
講師という選択肢が出てきたのは、現場でのサポート業だけでは生活が難しいのではないか?というように思ったことがあります。
当時は足りないならアルバイトをして、、、とも思ったけれどあわよくば、ということで手段の1つとして考えていたのかな。
卒業するときに声かけていただいて、その学校からスタート。自分が実地も通して学んできた内容でもあるし、色々な勝手がわかっていたことも大きかった。先生よりは先輩、だったのかもしれない。
それでも人に伝えることの面白さ、そして当時に自分が学ぶことの目標というかアウトプットする先が明確であることのメリットに気付くことができました。
違う場所だから余計に意識する時間
3年経って、違う学校でご縁をいただいたところから異分野?でのスタートになりました。
隣接はしているけれど、直接触れていない理学療法士の養成校での活動。
結果的には今もそういった医療資格の養成校での講義が多くて、「トレーナー」に関わる学校は少ないんですね。
このことが今の自分にとって大きかったんじゃないかと思う
違うところで活動していることで、自分の立ち位置を意識・認識する機会になっています。そしてその視点がブレずにある。
業界のことに触れながら、自分のスタンスがどこにあるか。それは非常勤だからこそできることでもあります。及んでいない部分もはっきりわかる。
資格的な面や立場など、色々「ない」ものがあるからできたこと、「ない」ところから広がっていったものがたくさんあります。
「トレーナー」の部分にもっと強い拘りがあったり、自分自身に突き抜けるものがあればそういうところでの活動機会も増えたかもしれません。
そう言われたらその通り。残念ながらそれは持ち合わせていないかもしれません。そこにエネルギーを注いでいる方々からみれば亜種かもしれません。
でも、ちょっと言わせてもらうなら必要としているのはそういう人たちばかりではないでしょ?まだまだ追い付いていないところもあるけれど、もっと一般化されていい内容だと思うんですよね。今の状況で誰かの特権、ではいけない。
もっと広がっていったらより専門的なサービスやサポートも広がっていきます。そしてスポーツやトレーニングに興味がない人にも何かのきっかけが提供できたらもっと楽しくなるんじゃないかな。
今
今も生活をするための手段である、ということはもちろんあります。それでも、できる限り続けたい立場。色々なお声かけをいただく中で、この「教える」という立場や時間が保てるかどうか、ということも頭の中にあります。
大学院に進学したのも、もちろん研究や探求に対しての欲求があったけれど、おかげで多少なりとも選択の幅が広がったことは間違いありません。それを指導教官であった先生にお伝えしたら「それが一番」と。
「生涯スポーツ」
当時は充分に理解できていなかった学科に含まれるこの名称。20年強を経てこの視点が強くなっていることは面白いものです。
とにもかくにも
色んな求人情報などに自分自身で全てアクセスして手を広げられたわけではなくて、近くにいるあるいは自分を見てくれていた方々が色々な道を示唆していただいています。
力不足で充分に応えられなかったもの、反省も沢山あります。
それでもこうやって続けられてきたことに感謝しかありません。
20年目も相変わらず試行錯誤ですが、これまでの経験があるから試行錯誤すると思うようにしています。それが型なんでしょうかね。
竹原ピストルさんの”Forever Young”の一節、響きます
色んなものが重なって表面に見えていないものは時々掘り出してみるとまた新しい発見もある
いいなと思ったら応援しよう!
