シェフが主夫になったらこうなった。〜楽しく自給率を上げる。時代に左右されない生き方〜

プロローグ

 豊かさ

 僕らにとっての「豊かさ」とは何だろう?というのはいつの時代も不変の問いだ。欲しい物を買えるだけのお金がある状態とか、好きな事をする時間が持てる状態とか、心が穏やかにいられる時間や空間だったりするのか。そしてそれは時代によって刻々と変わってゆくものでもある。はるか昔は「明日の食べ物がある」ということが「豊かさ」だったし、「殺される心配がない」という事が「豊かさ」だった時代もあると想像したりする。

僕もこの資本主義社会で生まれ、豊かさとはお金で何でも買える事を豊かさと無意識的に認識して成長し、社会に出て「豊かさ=お金の量」という構図の中で、成功者と呼ばれる人たちに憧れてそのレースに参加して全速力で走っていた。今となってみれば、それだけじゃない世界や価値観も知り、色々な生き方と「豊かさ」についてふれ、人にはそれぞれの「豊かさ」があっていい事に気がついた。

 主夫という仕事

 店で包丁を握っていた頃と比べると、家で包丁を握るということはとても穏やかで自然的で生産的で楽しい。そして「豊か」だ。愛する人の為に毎日調理を楽しむ、こんな「幸せ」で「豊か」な事はない。洗濯や掃除、畑、薪割り、動物の世話もなかなか面倒なようで、手を入れてあげればあげただけの成果が目に見える。これも充実感として「豊かさ」に入れても良いのではないかと思う。

僕は40代半ばの働き盛りの飲食店の店主だった。そこへ、2021年のコロナパンデミック到来で人生が変わった。半ば強制的に退場させられた資本主義レースを絶望の淵で忘れようとした。自分にも業界にも世間にも政治にも絶望したんだ。当時の僕にはレースを降りる事はすなわち「敗北」だった。その後は生きる意味さえよく分からなかった。そして精神科の門をたたいた。

でも今ははっきり言える。自分にとっての「豊かさ」とは資本主義レースの先にあったのかもしれないが、レースの外側もまた面白そうで魅力で溢れている。ここにも別の「豊かさ」がありそうなんだ!本書ではそんな希望的観測をもとに、僕のようにレースから降りてしまった人、又はレース中だが疲れ果てちまった人に、「こんな生き方と豊かさもありそうですよ。」と伝えたい。

つづく

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