コロナのち鬱のちゼロスタート【闘病は戦わないこと編】
【遮断と孤独】
保護室という独房に緊急入院して1週間たっただろうか・・・6日目か・・・わかんない、どっちでもいいか・・・
3食の他に寝る前に薬を飲むようになった。なんの薬でどんな効果があるかはわからない。飲んでみて自覚症状もない。そういえば着替えもないのでここ数日風呂はおろかずっと同じ服とジーパンで布団にくるまっている。一体全体僕はどうなっていくのか?
病院食はなんとなくまずい物と言う先入観があったが、意外に毎食旨い。1日の3度の食事が楽しみだった。保護室とは「自分を傷つける可能性がある患者を守る」と言う意味と「外部からのストレスを遮断する」と言う意味での「保護」と言う事だと最近悟った。だから部屋には鋭利な角や凹凸がない。食事も使い捨ての柔らかいカップに紙製のスプーンだ。BGMもなければ雑誌一つもない。もちだが携帯なんて入院時に没収されたままだ。
実際、我に帰ると寝る時間と食べる時間以外は何もする事がない。
隣の保護室に患者さんが入ったようだ。若い女性の声が甲高い声で泣いている。鉄の扉をドンドンと叩いたり、蹴ったりする音が響いて来る。「ここから出してくれ!」そんな風に聞こえる。気持ちはわかる。僕も同じさ。
部屋には辛うじて鉄格子の向こうに時計があった。1秒ずつ秒針が回っている。そして一周回ると長い針が1ミリだけ進む。長い針の一周向こうには12と言う文字がある。それは秒針が120回転すれば到達する。すると短い針がいつの間にか1に進む。だめだ!限界だ!1時間秒針を見続けると言う暴挙に出てみたが、かえって頭がおかしくなる。ついでに目もおかしくなってきた。
たまらず布団に潜る。目をつむる。寝ちまえば時間は勝手に進んでくれるはずだ。
目が覚めると2時間ほど時計が進んでいる。凄い!寝ると時間が経つのがこれほど早いのか!!よし!もう一回寝よう。そして布団に潜る。画期的な発見だ・・・
わかっちゃいたが、そんな戦法はいつまでも続かない。布団に潜っても眠れない・・・「人間は一日8時間は睡眠をとる方が良い」と聞いた事があるが、1日21時間寝る方法ってないのか?ちくしょう!聞いた事ねえ!!
先生や看護師さんはとにかく休めと言う。alrighte! わかった!休むよ。休むけどさ、いい加減僕も鉄のドアを叩きたくなって来たよ。僕は大人だからそんな事はしないけどね。
たださ、時計が友達じゃ逆に頭がおかしくなりそうなんだ!
先生・・・助けて・・・
【敗戦を認める】
入院して1ヶ月がたった。
独房からの出発だったこの入院生活も、時間の経過と共により人間らしい部屋に移っていた。「人間らしい」と言ってもただベットがあり、トイレにドアが付いただけで、相変わらず部屋からは出られなかったが、ベットがあって、鉄格子越しではなく看護師さんが部屋に入って来て直接食事を渡してもらえるだけで「人間らしさ」を感じた。当然開けられないが窓から外も眺められた。
朝、夜が明け。
昼、日差しを感じ。
夕方、西日を感じ。
夜、暗くなり就寝する。
当たり前の事が五感を通じて1日が流れる。それが何よりも新鮮に感じた。
先生からは僕の事を「お守りする」と言われた。
そして、「今はとにかく体も心も休むこと。」「大切な決断は後回しにすること。」と言われた。
でも、考えなくてもわかる。確信していた事があった。
「僕は入院したんだ。」そして「コロナに負けた。」
言い訳も愚痴も何も出てこなかった。素直に完敗だった。
【小鳥と虫とカエル】
入院中のお話も少し。
部屋は病状とスケジュールにズレがなければ、より解放的な部屋へと移る。自分の意志で部屋を出て、病棟内のリビングルームでテレビを見たり、他の患者さんと話もできる。「遮断」から少しずつ「解放」へ向かう。本や新聞も見ることができた。普段(入院前)は意識すらしたことのない当たり前の事がやたら有り難く感じる。
寝る前に服用する抗うつ剤が次の朝まで残っていることがある。そういう朝はやけに気持ちよくベットに横たわって一点をぼんやりと見つめている。息をするのも忘れるくらいに気持ちいい。そのままじっと動かずにその快感を満喫する。そんなことをしていると、気づけばお昼の時間になっている。
「ああ、またやっちゃった。午前中のリハビリの作業療法もサボっちまった。」
薬が切れると少し起きる意欲が湧いてくる。そしてちゃんと食欲は湧いてくる。
昼食を終えると、テレビを少し見て新聞を見て、部屋に帰って本を読む。かといって集中力もまだ弱いのですぐに飽きて、窓の外を見る。
見慣れた風景、良く整備された芝生の庭に広葉樹が茂っている。コンクリート脇に生えた雑草が力強く根を下ろしている。
天気が良いと小鳥たちが遊びにくる。「ピピピ・・・」と「クルゥ」と言ってちょんちょんと芝生を歩くと、気まぐれに羽ばたいて視界から消える。
よく目を凝らすと虫たちが至る所で活動している。蝶や蟻、蜂が多いかな。一見何も意味のないような動作を繰り返しながら絶えず移動している。
一番よくわからないのがカエルだ。「カエル」と名付けたそのカエルは何日も僕と一緒にいた。そいつは窓と壁の間に挟まって動かない。最初は直射日光から自分の体を避けるためにそこにいるのかと思ったが、日光が燦々と降り注いでいてもそこにいた。特に日差しが強い日は干からびてしまうじゃないかと心配するのだが、若干動くぐらいでそこを退かない。
夜になると活動しているのかな?それほどまでに朝から晩まで定位置でじっとしている。意志さえあればどこにでも行けるだろうに、そんな自由なカエルもまた、うつ病で気持ち良すぎる日々を過ごしているのだろうか?
「カエルよ、君も僕と一緒かい?まあいい。お互いに生きていこうぜ。」
カエルはその夏突然いなくなった。
ああ、何処へ行っちまったんだ?カエルよ。
いつものカエルの定位置には何も残っていなかった。
「頑張れよ」
たぶん僕もある日突然とこの部屋からいなくなる。何も残さずに。
【中庭の枯れ木】
病棟のリビング脇に中庭があった。
四方を壁で囲まれている中央に直径2メートルほどの丸い大きな鉢植えがある。
鉢植えの中央には背の高い枯れ木があり、その周りを青く茂る中背の草木があった。
僕はそんな中庭を眺めるのが好きだった。中央にある枯れ木を周りの草木が支えているように見えるからだ。それはまるで真ん中で病んでいる僕ら(患者を)先生や看護師さんや家族が支えているように思えた。周りの草木はそれは青く瑞々しい佇まいで、風が吹けばしなやかに揺らいだ。だから枯れ木であってもその直径2メートルのアートは観る者を優しく包み込む力があった。
いつか看護師さんや他の患者さんにもそんな話をした。
「僕はこの中庭が好きなんです。」
ある日の事だった。いつものように中庭を見ると景色が一変していた。
真ん中の枯れ木が伐採されていたのだ。「嗚呼、ついにこの日が来たか!」なんとなく恐れていた事で、予測はしていた事なんだけどそれはそれでショックだった。
その日看護師さんに聞いてもらった。
「あの枯れ木って僕らみたいで、支えられてるような感じで好きだったんですよね。でもとうとう切られちゃったみたい。」
「それは残念でしたね。でもきっと貴方は大丈夫ですよ。多分周りの草木になって生え変わるんだと思いますよ。」
「そうか、周りの草木になって生え変わるのか!なるほどなるほど。それは悪くないお話ですね。ありがとうございます。」
「きっとそうですよ!」
枯れ木よ。ご苦労様。
【人生の食事の時間】
入院前の健常者だった頃の僕の食事に費やす時間ときたらやたらに速かった。朝は家族4人で食べるがいつもダントツ早食い1位だった。多分10分以下のタイムが出ていたと思う。
昼食は店の賄いだ。従業員と一緒に食べていた時は一応「いただきます」と「ご馳走様です」は皆で揃えていたので15分〜20分はかけていたと思う。ただし同じ量では食べるのがゆっくりの従業員と食べ終わり時間があまりにも差が出てしまい、相手に「早く食べなければ」というプレッシャーを与えてしまうので、早食い組はわざと大盛りにして調整していた。総じて早食い野郎は大食い野郎と同じ部類に属することが多い。
ただ、ここ数ヶ月は店の新規出店に伴い、昼食は1人になっていた。1人というのはつくづく厄介だ。人に合わせる必要もなく、人に見られる事もない。
従って、昼食の質・量・時間ともにグズグズの状態になる。仕込みの途中にパンを立ち食いしたり、カップ麺で済ませたり、ヨーグルトを400g流し込むという独身学生のような(独身学生に失礼か)もやは昼食とも言えないエネルギー補給を5分程で済ませる日々が続いた。
夕食は店の営業が終わってからなのでどうしても22時以降になった。そこも従業員がいれば人数分の賄いを作りやはり15分程度で済ませる。22時を過ぎていれば誰でも早く家に帰りたい。
ただこんな食生活も独立前はもっと酷かった。
賄いの時間はお昼にかろうじてあるが、夜は忙しければない日もザラだった。厨房スタッフはそれでも味見と称してつまみ食いでなんとかやりくりしていたが、ホールスタッフにとっては飢餓状態が続いた。飢餓は絶対にしてはいけない一線を越える。宴会場でお客さまの残飯を食べて飢えを凌いだ。「食」を提供する者が食を疎かにしてどうして良い「食」を提供できるのだろうか。
その前は新聞奨学生として住み込みで新聞屋をやっていた頃だ。朝晩2食賄いが出たが18・19歳の若者にとっては量が少な過ぎた。よって、少ないおかずに醤油をかけて濃い味付けをしてそれを大盛りご飯にのせて食べた。そん時も一食に費やす時間は10分程度だった。
話を戻そう。
そんなわけで僕の「食事時間」の概念は長くて15分程度だった。それは家でも職場でも外食でもそうだった。
それがこの入院をきっかけに大きく変わった。
入院中は決められた時間に管理栄養士さんが組み立てた献立がやってくる。そして1時間という時間の中で食事をする。
はじめは僕もいつものペースで食べた、病院食はぺろっと10分で食事が終わった。早い時は5分で終わる量だった。周りの男性患者も似たようなペースだった。
ただ、少しずつ疑問が浮かんできた。
「あれ?なんでこんなに急いで食べてるんだ?」
そういえば、今僕を追い立てる物事は何もないし、早食いをして得た可処分時間を使う目的も理由も何処にもない。
むしろ時間を持て余してるじゃないか。
そんな疑問を感じた僕は人生で初めて食事に30分かけるという挑戦をした。
5分を30分にするのだから今までの6倍時間をかける必要がある。
・一口の量をいつもの1/3にした。
・一口を噛む回数を40回にした。(30回では足りなかった)
・一口呑み込むごとに一口白湯を飲んだ。
この3つをすることでなんとか30分かけられるようになった。
するとどうだろう。ご飯の味・おかずの味が全く違って感じたんだ。
咀嚼するごとに細かく、すり潰され、ペースト状になってゆくご飯とおかずは、初めはそれぞれの味が舌に刺激を伝えるが、そのうち混ざり合ってご飯の甘さがより濃くなってくる。白湯で口内をリセットするとまた次のご飯とおかずを味わう。
「ああそうか、味わうってこういうことだったのか。」
というわけで、人生の食事の時間って追い詰められて決めるもんじゃない。
しっかりと食材と作り手の味付けを「味わい楽しむ」時間であるべきだ。
その時間は10分も30分もそれぞれの自由だが「楽しむ」という時間が長ければ長いほど良いに決まっているじゃないか。
僕はそう思う。
【大部屋の3人のおじさん】
症状が回復し退院が近づくにつれて病棟内の自由度が増す。
たとえば病棟内では朝6時〜夜10時まで自由に行き来できる。30分間なら病棟外の散歩も看護師さんの同伴なくできるようになる。
おやつや本なども部屋に持ち込みが可能だ。その代わりに症状が回復してくると大部屋に移される。患者のドミトリーと言ったところか。
また、その大部屋は入院費の中の宿泊費が安いという事もあり、任意で入院する症状の軽い患者もいたりする。
そんなわけで僕も晴れてドミトリーへの入居が許可された。大部屋と言っても4人用のシェアルームでそれぞれのテリトリーの間にはカーテンで仕切られている。
当然男性専用の大部屋なのでテラスハウスのような訳にはいかない。僕のルームメイトは3人のおじさん(僕も含めれば4人)だった。個室との大きな違いは「音」だ。カーテンしか仕切りがないので、音は筒抜け状態だった。世の中のおじさん〜お爺さんは独り言が多くなるようだが、この3人も例外では無かった。まるで誰かに話しかけているようにブツブツ言う。2人で独り言を言っている時には、本当に会話をしてんじゃないのか?と思いたくなる瞬間もままあった。
ただ、本当に怖いのは夜中だ。
そう、「いびき」の合唱がはじまるからだ。
「ガガガガ・・・・」
「ゴー、ゴー、ゴー・・・」
「グログログロ・・・」
これはたまらなかった。いびきなんてここ数十年聞いた事がなかったので「いびき」とはこんなに喧しいものなのかと愕然とする。3人とも(僕以外は)違う音色で爆音を撒き散らすくせに、たまに寝るのが遅くなると「2人のいびきがうるせー!」とか「チッ、眠れねーよ!」などとぼやく。昼間に「俺いびきうるさくねえ?大丈夫?」と言われるが「大丈夫ですよ・・・」と答えるしかない。こんな会話はまだ気遣ってくれてる感があってまだいい。酷い時は僕に1人のおじさんが「あいつのいびきにもう殺意を覚えるんだよ!」と息巻いていたが、実際一番いびきが酷いのがそのおじさんだったりする。
痰を吐くのに「カーーーッぺ!!」とするのもおじさんたる所以の特徴のひとつだ。(僕はまだそこまで到達していないが)大体朝方5時ぐらいから「カーッ!カーッ!カーッ!」と始まったりする。一発で「カーーーッぺ!!」と行けば良いが、痰とはそう気持ち良く出せるものではないようで、「カーッ!カーッ!カーッ!」「ヴヴヴ・・・」「カーッ!カーッ!カーッ!」と何回か続いた後にやっと「カーーーッぺ!!」となる。
そんな日々が約3週間ほど続いた。おじさん達とは概ね良好な関係を保てている。寝つきは悪いが寝れない事もない。
そろそろ退院が近い。
【生きると読書】
入院して本を許されるようになったら、いっきに時間の使い方が読書になった。
閉鎖された空間なので余計に本には集中できた。最初は奥さんの趣味で本を差し入れしてもらっていたが、そのうちに気に入った本の作者の著書や、本の文中に紹介されている本で読みたい本を次々と奥さんにリクエストして持ってきてもらった。
本は偉大だ。自分のペースで人の人生観や人の頭の中を覗き込むことが出来る。偉人の話を対面で聞くなんて事は滅多にないし、だいいち,いっきにそんなに話されたら何日もかかるだろう。
だから活字は「活きる字」と書くのかもしれない。
さてそろそろ本題にいきましょう。
僕の場合は人生のタイミング的(45歳)にも病気的(うつ病)にも「生きること」について一度立ち止まって、じっくり考え直す必要があった。ずっと突っ走って来た自分を否定も肯定もなく、ありのままに受け止めた上で、他者の生き方や人生観も覗き込みながらこれから「生きる」ことについて考えた。
それは「これからどんな人生をおくって行きたいか」に方角をつける意味でも、今までの生き方以外のアプローチがある事を知る良い機会になった。
孔子やアドラーなんかの哲学書も読んだ。人生とは何か。シンプルなようで一番難解な学問だ。だから難解に考えるのをやめてシンプルにシンプルに自分にとっての人生観を回想する。
僕にとってのこれまでの人生は「豊かさ」の追求だった。その「豊かさ」とは「お金」だった。お金があれば好きな物を買える、ゆとりのある家に住むことができる、リッチな食事もできる、旅行にも行ける、何ならそれに使う「時間」も買える。だからお金を増やす事に注力していた。勤めて業績を上げて、独立して規模を拡大して行った。
確かに所得は増えた。でもそれとは裏腹に余裕は無くなっていった。そして家族との時間も次第に痩せ細っていった。とにかく「お金」を増やすために「仕事」に集中していた。もう少し頑張ればきっと楽になると妄信的にとにかくエネルギッシュに行動した。そしてその矛盾に感づきながらも止まれなくなっていた。
そしてコロナ禍で成長が止まると、その矛盾を凌駕していたエネルギーも萎えて、矛盾と病魔が心を支配した。「死ぬ」と言うことはそれからの解放とも感じた。
何はともあれ病魔は走る僕を止めた。そして読書は僕の人生、つまり「豊かさ」の基準が「お金」以外のパターンがあると言うことを教えてくれた。
確かにお金は「不要」ではない。だが「すべて」でもない。お金で何でも買おうとするからお金を増やしたいと思うだけのことで、自分で生産する手段があるのなら必要なお金は限定的だ。
今までの速度からギアをダウンシフトして暮らすことが出来て、
痩せ細った家族との時間が取り戻せる人生があるとしたら?
心に余裕のある生活が取り戻せる人生があるとしたら?
それも、ひとつの「生きると言うこと」じゃないのだろうか?
僕にとっての本当の「豊かさ」とはそっちじゃないのだろうか?
「成功」って?「ちゃんとした暮らし」って?
とりあえず、本を読もう。何か示しがあるかもしれないし。
【夜中にくるオバケ】
入院中に本当にあった怖い話・・・と言うタイトルにしようかと思ったが、結局「夜中にくるオバケ」にした。
これは入院生活後半にあった出来事。
あるときとある理由で病棟内で一番リッチなお部屋に移動することになった。それはそれはラグジュアリーホテルの一室のような広く豪華なお部屋だった。きっと芸能人とかが利用するようなVIPルームなんだな。こういうお部屋って本当にあるんだな。と感心しながらそんなお部屋に移動できた幸運に気分は上々だった。
夜までは。
いつもの様に寝る前に処方された薬を呑んでベットに横になる。寝付きは相変わらず悪いが、1時間もすれば大体眠っている。その日もそんな感じで寝ていたのだが、夜中になると物音で意識が戻る。目はつむったままだ。その物音は「足音」だった、最初は見回りの看護士さんかと思っていた(看護士さんは1時間に1度見回りに来てドアを開け様子を確認する)がどうもおかしい。
「ザ、ザ、ザ・・・」
足音は部屋の出入り口の方面から次第に近づいてくる。(看護士さんはこんなに部屋に入ってくるものだったのだろうか?)異常だと確信したのはその足音が部屋の中を行ったり来たりしてどう考えても看護士さんのものではないとわかった時だった。次第に恐怖心が湧いてくる、目を開けようとしても開かない。気づけば金縛り状態に陥ってしまって体も動かない。
ただ金縛り自体は初めてではない、右腕に意識を集中する。
「動け!」
意識が勝った、右手で辛うじて頭上にあるナースコールを押す。と同時に金縛りが解ける。間も無くして看護士さんがやって来た。
一応確認する。
「見回りって部屋に入ってくることあります?」
「入ることはないですよ」
「部屋の中を歩く足音がしたんです」
「やだ、怖いこと言わないでー」
「おかしいなあ〜寝ぼけてましたかね・・・」
「不穏時のお薬飲みます?」
「いえ、大丈夫です。すみませんでした」
何はともあれその日は寝ぼけただけかと思い過ごすことにした。
【次の日の夜】
夜中にまた聞こえてくる。
「ザ、ザ、ザ、・・・」
(マジか、また来たぞ・・・しばらくすれば消えるかな・・・)また寝ぼけでもしているのかも知れない。
「ザ、ザ、ザ、・・・」
「ザ、ザ、ザ、・・・」
足音はいっこうに消えない。ベットの周りを旋回するように動く。今日は金縛り状態ではない。(ヤバイなあこりゃほんまもんか・・・)
再びナースコールを押す。昨晩とは違う看護師さんが来る。
「すみません。昨晩もだったんですけど〜」一通り説明する。
「病院ですからね。もしかしたらそんなこともあるかも知れないですねぇ。お薬呑まれます?」
精神病棟の看護士さんは基本、患者の言う事を否定しない。患者の思いを常にニュートラルに受け止めてくれるのだ。だけど、今日は「否定」してほしかった。オバケがいる可能性を・・・
「いや、薬は大丈夫です。すみませんでした。」
再び寝る。今日は寝ぼけていない自信があった。確かに足音は僕の周りで旋回していた。
【それから2日後】
前日に担当医の先生からの提案で部屋を移った。VIPルームを満喫できたのはたった2日間だけだった。オバケもやだがVIPも名残惜しい。
部屋はコンパクトな小綺麗な個室部屋だった。その日の夜は不思議?とオバケはやってこなかった。やっぱりあの部屋にいるのか?
と思っていたら2日目の夜。
「ザ、ザ、ザ、・・・」
(来たのね・・・)もう何だか3日目となると恐怖はなく「また会いに来たの?」的な気持ちである。
そして、今日は正体を見てやろうと思い足音が枕元まで来るのを待つ。
「ザ、ザ、ザ、・・・」来た。
ゆっくりと目を開ける。暗闇の中には誰もいない。もちろんオバケも。ん?
よく見ると壁から天井にかけて大きな影が見える。影というよりそれは半透明の鬼の様な陰影だった。
(僕に会いに来るのは君かい?)「どうしたの?」と言葉を発した。
するとその陰影はそれに答えることもなくスルスルと消えていった。
それからはどの病室にいてもそのオバケは来ることはなかった。
僕の想像していたような病室で不幸を遂げた元入院患者の様ないわゆる「幽霊」ではなかったあの「オバケ」。
あいつは何をしに僕のところに来たんだろう?遮断と孤独の病棟内ではあんなオバケがルームメイトでもよかったかも知れない。
間も無く僕の「オバケ騒動」はうつ病患者の寝ぼけ話で着地したんだと思う。
でも僕は確かにあいつの「足音」を聞いて、「陰影」も見た。だからあいつは間違いなく「オバケ」だった。
そして、ほんの少し会いたくて、ほんの少し寂しい気持ちになった。
病室で思う。オバケやーい、またいつでもおいで!