【008】仏教学習note【仏教哲学の世界観1-8】
こんにちは。
このシリーズでは僕が仏教について学んだことを記しています。
なお、僕は仏教について何にも知りません。
仏教学者で花園大学の教授をなさっている佐々木閑先生のYouTubeでの講座を見て、その内容をまとめています。
もちろん僕の主観によるまとめなので色々と解釈の違いや間違った理解があるかと思います。
それはXなどでご指摘いただけると幸いです。
あくまでも大学生の受講ノートみたいなものだと考えていただけると幸いです。
前回は仏教が生まれた場所やお釈迦さまの活動領域、そしてその地域の特性について。
バラモン主義の勢力が比較的弱い場所が仏教の生まれる土壌となってたことがわかりました。そしてお釈迦さまの言葉を引用し、どのようにバラモンの定義を変容させようとしていたのか?という解説でした。
今回はその後のカースト制度について。
バラモン教世界とカーストに対して反抗し再解釈を試みたお釈迦さま。
その後カーストはどうなったのか?というお話です。
仏教哲学の世界観1-8
https://youtu.be/u5TkApXHCXM?si=Gy_GHDIdD0OQqc_L
AIによる要約
仏教の起源とカースト制度の否定
お釈迦様の平等思想と仏教の発展
ヒンズー教とカースト制度の変容
ヒンズー教の汚れとカースト制度の形成
感染症とカーストの汚れの概念
仏教とジャイナ教の対応と消滅
カースト制度の変遷と外部勢力の影響
植民地支配とカースト制度の強化
学習したこと
バラモン=ヒンドゥー世界による反仏教
お釈迦さまによって仏教はカーストを否定する理念を持っていた。
しかし、現在のインドにおいては
カーストが存続している。
これはなぜか?
仏教はお釈迦さまが亡くなったころはまだ地方のマイナー宗教の一つでしかなかったが、その後100年200年、500年と時間が経つにつれてインドにおいて地位を確立し、多くの信者を獲得していった。
インドにおいて市民権を得た仏教は一時は王様でも信者が現れるようになり、その力はインドに広まっていった。
ところが、この動きに対して反仏教、反沙門の動きもバラモン社会から生まれ始める。
バラモン社会はその後大衆化を果たし紀元後3〜4世紀には「ヒンドゥー教」として成立することになるが、やはり反仏教の立場をとる。
理論武装されたカースト制度
バラモン(ヒンドゥー教)社会ではこの反仏教の活動として
バラモンは宗教としての理論武装を行うようになった。
それまでは儀礼的な側面や神との関係性でバラモン教は存続していたが、カーストの正当性について物理的根拠を主張し始める。
その要素は、
「汚れ」
である。
これは「人にはそれぞれに汚れがあり、それぞれの血筋によってその汚れが人々に存在している」とするものである。
これによって最上位階級であるバラモンは汚れのないまっさらな状態である、ということになる。
一方でカーストの下位においては人々に汚れが存在しており、下になるほど汚れが増えていくと考えるようになった。
人々に生理的嫌悪感を刷り込んだカースト制度の理論
そしてその「汚れ」は感染すると考えられた。
それは接触感染や経口感染、つまり汚れた人が触った食品を食べた人間も汚れが感染する。
さらには一緒にいる・近くにいるだけでもその汚れが感染するとした。
当然このような考え方を提唱したのはバラモン階級であった。
これが当時のインドに広く浸透することにより、より強固な縛りとしてカースト制度がインド社会に存続することになった。
このような「汚れ」の概念は実際の感染症と強く連動している。
もちろん生まれと感染症との関係はないが、当時の人々の受け止め方によって生まれと汚れの関係性が信じられるようになった。
現実のウイルスや細菌によって引き起こされる感染症は人を選ばない。生まれや身分は関係がなく、どんな人間でも感染し、また他者に感染させる可能性がある。そして被害を出しつつも時間と共に変異し消滅していく。
しかし、カースト制度においては人々の意識の問題である。
上位階級が下位階級の汚れを忌避し、下位階級の人々は「自分が汚れている」と自覚することを強制される社会。
このことから汚れている人は、汚れてない人に近づいてはならない。
これがヒンドゥー教社会の通念となってしまい、現在のインドでも残ってしまった。
カーストの妥当性を否定できず消えていく沙門集団、そして仏教
こうして強固に理論武装されたカーストによって反バラモン・反カーストを主張した多くの沙門集団は消滅していくことなった。
仏教もこの流れに抗うことができずインドから消滅していった。
仏教はカーストやバラモン世界と戦い、そして敗北したという解釈も可能だが、実際のところは
「ヒンドゥー社会に擦り寄っていった」
ということであった。
つまりヒンドゥーの主張をお釈迦さまの教えとは違う形で受け入れていくことにより、次第に仏教自体がヒンドゥー化していった。
これは例えば
梵を認める
カースト制度のなかに自分たち仏教徒を含めた位置付けをする
このようなことを繰り返しヒンドゥーとの違いが無くなっていった。
一方の沙門であるジャイナ教においては仏教ほどには擦り寄っていかなかったが、カースト序列のなかに組み込まれるかたちで生き残った。
結局のところ仏教が敗北した最大の原因は
理論武装されたカーストがあまりにも強固にインド社会に定着したことによる。
このようにインドで滅びた仏教であったが、幸いなことに外部の世界に受け継がれ生き残った。
イスラムの進出とカースト制度
仏教が消滅した後のカースト制度は11世紀のイスラムの侵入により大きな変動が起こる。
誰もが神の前では平等と説かれるイスラム教には当然カーストのような制度はない。このイスラム勢力がインドに侵入し、現地インドに混ざり込んでいった。
イスラムによる支配が進む中、カーストに関して禁止することはなかった。イスラム側から見ればカーストは昔からある土着の習俗であるとしてある程度容認することになった。
後にイスラムによるインドの支配はムガール帝国として成立するが、この時期においてイスラムを頂点に置いた文化や社会が作られていった。
この間、ある程度カースト制度の厳しさは緩められ、ある種の共生が実現していった。
しかし・・・
イギリスによるインドの植民地支配と分割統治
18世紀に入るとイギリスがインドを植民地化する。
イギリスはインドを植民地支配するにあたり、反乱が起きない仕組みを利用した。
それが分割統治であった。
分割統治とはつまり「仲違い」である。
イギリスはインドを支配しつつ、イスラム文化とヒンドゥー文化を対立させる政策をとった。
それはイスラムとヒンドゥー、それぞれの宗教理念を厳格に守り、生きるベースとせよというものであった。
これにより一定の折り合いをつけて共存していたはずのイスラム文化とヒンドゥー文化に断絶が起こり、対立が起こってしまう。
この被支配者どうしの対立は、実際の支配者であるイギリスに対する反乱を起こさせない。
この分断が、結果としてヒンドゥー文化ではカースト制度という厳格な身分差別に従わなければならないという意識が植え付けられていくことになった。
こうして反沙門からイスラムの侵入と共存、そしてイギリスによる分割統治を経て、刷り込まれたカーストという差別主義が根付いてしまい、イギリスからの独立を果たしても現代においても続くことになってしまった。
感想
てめぇ!イギリスこの野郎!
というのが率直な感想。
今で言うところの多様性の尊重に近い考え方が、
仏教によるバラモンの再解釈
バラモンによる各地の土着の信仰の取り込み(引き受けとも言える)とヒンドゥーの成立
カースト内に収まることを選んだジャイナ教
イスラムとヒンドゥーの共生
などの形で少し垣間見える気がした。
一方でカースト制度そのものやイギリスによる分割統治の問題は
宗教というより政治の問題
なのではないか?
実際、カースト制度は支配者が既得権益を守るためにでっち上げたと言っても良いし、イギリスの分割統治はそもそも被支配者同士の争いを煽ることによる反乱の防止だ。
このように仮説を立てると、世界のあちこちで今現在まで続く宗教対立の本質って実は政治なのではないか?と思えてくる。
ちょっと無理に拡大解釈すれば、
僕の元嫁がヨガで出家したことに対して、僕がとても怒り狂っているのも、僕や娘(と犬)のいる家庭という小さな社会の維持、つまり家族運営という政治が難しくなるからだ。
実際僕は元嫁のヨガ活動は手伝うことはすれどそれを止めるように制限したことは無いのだから。
僕らもみんな「汚れ」を知っている
もう一つ印象に残ったのが「汚れ」について。
ちょうど新型コロナのパンデミックもあったのでわりとタイムリーな感じがした。
カーストで規定された「汚れ」の感覚は当然日本人には理解しづらい。
急に上の階級から「今日から下の階級は不潔だから触ったり近寄るの禁止」とか言われて納得がいくだろうか?
けれどもコロナのパンデミックにおいて僕らの社会は急に手洗いとうがいを徹底するようになったし、ソーシャルディスタンスといって人と人の距離を取ったり、外出にはマスクが必須な生活になってしまった。
スポーツジムとかカラオケだったり、ライブ会場や劇場など人が集まる場所やイベントは途端に禁止されたりしたし、近寄りたくなくなった。
マスクをしないのはマナー違反、どころかルール違反になるケースもあったし、マスク警察なんて揶揄する言葉も出てきた。
咳をしている人を見かけるだけで近づかないように注意をはらった。
おそらくほとんどの人がウイルスを恐れて触らない・近寄らない考え方を持つようになったはずだ。
考えてみればこれは不思議な話だ。
なぜならウイルスって普通の人間の目には見えない。
見えない何かに怯えて行動が制限されたり疑心暗鬼になったりしていた。
もちろん目には見えなくても実際にウイルスは存在するし、「科学の目」で確認された事を知っている。
でも実際に見た人は極々一部だ。
結局、僕らは「科学」に対して絶対的な信頼を持っていてそれに従った結果が行動制限や疑心暗鬼につながったわけだ。
こう考えると、1000年以上前の電子顕微鏡どころか顕微鏡だって無い時代に信じられていた「宗教」がカーストをはじめとする人の行動制限や疑心暗鬼を引き起こすのは、現代の僕らとまったくもって同じ理屈だと言える。
次回は「仏教哲学の世界観 1-9」
バラモン教世界から仏教が誕生した場面について。